【大歌舞伎】歌舞伎の歴史・まとめ年表⑫

日本は伝統を大切にする国です。雅楽・能楽・文楽・歌舞伎。大きくカテゴライズしても、この4大ジャンルに分類できます。この中でも、1番歴史が浅いのですが、世界中で最も認知度が高いのがKABUKIです。庶民の娯楽としておよそ400年前に誕生してから、昭和40年には重要無形文化財に認定され、平成21年にはユネスコから世界無形文化遺産に登録され、現在まで続いています。

ラスカルさん
今回で「最後のまとめ」だね!
パンダくん
うん!日本の中世の時代から昭和までの主な出来事を見てきたよ!
レッサーさん
そうだね!歴史を学べば「今」が分かるんだね!

 





 


 

さて。この時代は関東大震災に続き、悲惨な戦争がありました。しかし、雨降って地固まるではないですが、戦後に海外公演を多く行われるなど、文化を通して国と国とが近づきました。昭和期には歌舞伎などの伝統芸能の御曹司は民法のテレビ出演はご法度に近いものでしたが、現在は多くの御曹司や名門が出演していることを考えると、その時代、その時代に合わせた「継承の形」があるのかもしれません。

 

それでは、「まとめ」のラスト。この時代の流れを見ていきましょう。

 


 

1932年(昭和7)

九代目市川團十郎追遠興行で、五代目中村歌右衛門、初代中村雁治郎、十五代目市村羽左衛門、六代目尾上梅幸、七代目松本幸四郎、二代目市川左團次、六代目尾上菊五郎、初代中村吉右衛門、七代目澤村宗十郎、七代目坂東三津五郎、二代目市川猿之助という豪華出演陣による舞台が成功し、九代目市川團十郎・五代目尾上菊五郎の偉業を称える「團菊祭」が始まる。

 


 

1934年(昭和9)

七代目常磐津文字太夫、歌舞伎座に於いて二代目常磐津豊後大掾の追善演奏会を開催。口上を市川三升(十代目市川團十郎)、六代目尾上菊五郎、七代目坂東三津五郎、四代目市川男女蔵(三代目市川左團次)が述べて、二代目花柳壽輔(壽應)が「老松」で出演した。

 


 

1937年(昭和12)

日中戦争勃発。戦時下でも歌舞伎興行は行われる。

 


 

1939年(昭和14)

第二次世界大戦勃発。戦時下でも歌舞伎興行は行われる。

警視庁保安課、不敬を理由に能楽の「大原御幸」を上演禁止とした。その一方で、日清戦争、日露戦争、第二次世界大戦を題材とした新作能も作られるようになった。

 


 

1940年(昭和15)

七代目常磐津文字太夫、「定本常磐津全集全12巻)」を刊行。常磐津普及部の顧問となる。

 


 

1941年(昭和16)

七代目常磐津文字太夫、関西常磐津協会を発足し初代理事長となる。

 


 

1945年(昭和20)

ポツダム宣言受諾。終戦。焼け残った東京劇場で歌舞伎の興行が行われる。焼け野原の日本橋檜物町常磐津家元宅が弟子たちによって、いの一番に再建される。初代中村吉右衛門、七代目坂東三津五郎から献花を受ける。

*以降、戦後の歌舞伎は「菊吉」が二大系統となり、七代目尾上梅幸、二代目尾上松緑、十一代目市川團十郎による「菊五郎劇団」、六代目中村歌右衛門、八代目松本幸四郎(初代白鷗)、十七代目中村勘三郎の「吉右衛門劇団」が、戦後歌舞伎復興の旗手となる。

能楽は多くの能舞台が焼失したため、それまで流派ごとに分かれて演能を行っていた能楽師たちが、焼け残った能舞台で流派の違いを超えて共同で稽古を行い始めた。観世銕之丞家の次男「観世栄夫」は、観世流と他流の身体論の違いに大きな衝撃を受けたという。

 


 

1946年(昭和21)

七代目常磐津文字太夫、第2次常磐津協会を設立、初代会長に就任する。

 


 

1947年(昭和22)

含まれる表現が危険思想に結びつくと上演禁止になっていた歌舞伎演目が、フォービアン・バワーズの尽力により次々に解禁され、豪華出演陣総出での「仮名手本忠臣蔵」の通し上演が行われる。

のちの九代目常磐津文字太夫が生まれる。

 


 

1948年(昭和23)

四代目常磐津小文太夫、十代目小文字太夫を襲名する。

 


 

1950年(昭和25)

歌舞伎が重要無形文化財の認定を受ける。

 


 

1951年(昭和26)

戦災で焼失していた歌舞伎座が復興開場。戦前では禁止されていた「源氏物語」で戦後最初の歌舞伎ブームが起きる。

七代目常磐津文字太夫、没。

 


 

1953年(昭和28)

十代目小文字太夫が八代目常磐津文字太夫を襲名。

三代目常磐津文字兵衛日本芸術院に選出される。

襲名挨拶には五代目市川三升、三代目市川左團次、七代目坂東三津五郎、二代目花柳壽輔が口上を述べた。又、襲名新曲「ひとのなさけ(三代目常磐津文字兵衛作曲・六代目藤間勘十郎振付)」には、三代目市川左團次、七代目尾上梅幸、二代目尾上松緑が出演した。

 


 

1955年(昭和30)

二代目市川猿之助により、戦後初の海外公演が行われる(中国)。

三代目常磐津文字兵衛重要無形文化財の個人指定を受ける。

 


 

1959年(昭和34)

八代目常磐津文字太夫、初代文字太夫生誕の250年にあたることから、宮古路豊後掾の慰霊碑が祭られている浅草寺において、流祖250年回忌の法要(久保田万太郎筆)をいとなみ、産経ホールにて記念演奏会を開催した。

 


 

1960年(昭和35)

アメリカ公演が好評を博す。

 


 

1961年(昭和36)

ソビエト公演が好評を博す。

 


 

1964年(昭和39)

清元節の高輪派と梅派とが寄り合い、清元協会を設立。六代目延寿太夫が会長に、二代目清元寿兵衛が名誉会長に就任。

 


 

1966年(昭和41)

国立劇場が設立される。歌舞伎俳優の養成事業や、歌舞伎の啓蒙活動が始められる。

 


 

1981年(昭和56)

八代目常磐津文字太夫、流儀の重鎮とともに重要無形文化財常磐津節(総合認定)の保持者として認定され、常磐津節保存会を発足し初代会長に就任する。

 


ラスカルさん
なるほどー!この時代はどこの業界でも「現在の基盤」が整った時代だね!
パンダくん
そう!こう見てみると、時代時代に大きなイベントがあり、それに沿って脈々と受け継がれてきたんだね!
レッサーさん
うん!現在の実演家の皆さんも「令和に伝統を伝える」ためにがんばっっているよ!

 





レッサーさんの歌舞伎入門「大歌舞伎」のコーナー! 日本の伝統芸能で一番有名な歌舞伎! 日本人ならキチンと知っておきたいよね!

それでは、次回をお楽しみに!しば~ら~く~!

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