【大歌舞伎】歌舞伎の歴史・まとめ年表⑩

日本は伝統を大切にする国です。雅楽・能楽・文楽・歌舞伎。大きくカテゴライズしても、この4大ジャンルに分類できます。この中でも、1番歴史が浅いのですが、世界中で最も認知度が高いのがKABUKIです。庶民の娯楽としておよそ400年前に誕生してから、昭和40年には重要無形文化財に認定され、平成21年にはユネスコから世界無形文化遺産に登録され、現在まで続いています。

ラスカルさん
今回も「まとめ」だね!
パンダくん
うん!この時代は近代化がすすめられ、現在のスタイルが完璧に確立されたと言っても良いと思うよ!
レッサーさん
そうだね!それでは歴史を振り返って行こう!

 





 


 

さて。この時代は演劇改良運動團菊左(九代目市川團十郎・五代目尾上菊五郎・初代市川左團次)の活躍、福地櫻痴主導の歌舞伎座の誕生、十二代目守田勘弥主導の四座同盟白井松次郎・大谷竹次郎兄弟による松竹株式会社の誕生など、現在の歌舞伎のスタイルが整備されていった時代です。

それでは、この時代の流れを見ていきましょう。

 


 

1879年(明治12)

二代目常磐津松尾太夫、新富座座元の十二代目守田勘弥の世話で家元に養子に入り七代目常磐津小文字太夫を襲名。

欧米外遊の際に各国の芸術保護を目の当たりにした岩倉具視が、華族による猿楽の後援団体設立に向けて動き始め、アメリカ合衆国第18代大統領ユリシーズ・グラントを自邸に招いて猿楽を上演させた。

 


 

1880年(明治13)

常磐津『雨舎り(三幅対名歌雨乞)』が初演される。

 


 

1881年(明治14)

河竹黙阿弥が学者をはじめとする第三者の作品介入に嫌気がさし引退を表明

常磐津『親睦会(波底親睦会)』が初演される。

明治維新により、江戸幕府の式楽の担い手であった猿楽師は失職し、猿楽が存続の危機を迎えるにあたり、岩倉具視ら政府要人や華族たちが、猿楽を継承する組織「能楽社」を設立。芝公園に芝能楽堂を建設した。以降、猿楽は「能楽」と呼ばれるようになる。

 


 

1882年(明治15)

七代目常磐津小文字太夫、常磐津三味線方岸澤派との和解を成立。

常磐津『時去りの猩々(今様猩々)』が初演される。

 


 

1883年(明治16)

常磐津『釣女(戎詣恋釣針)』が初演される。

 


 

1884年(明治17)

七代目常磐津小文字太夫、岸澤派との和解記念曲として「松島」を作曲。

 


 

1886年(明治19)

七代目常磐津小文字太夫、養母と不和になり家元を離縁される。

常磐津『かっぽれ(初霞空住吉)』が初演される。

常磐津『太田道灌(歌徳恵山吹)』が初演される。

常磐津『狐墳、狐畑、瓜畑(其俤写沢水・狐墳写沢水)』が初演される。

常磐津『墨田川雪の八景』が初演される。

 


 

1887年(明治20)

前年からの演劇改良運動の結果、井上馨邸で初めての天覧歌舞伎が実現。九代目市川團十郎・五代目尾上菊五郎・初代市川左團次(通称:團菊左)などの上演で「勧進帳」「土蜘」などが上演される。九代目市川團十郎は井上馨のほかにも伊藤博文や松方正義などの元老とも交流を持ち、歌舞伎俳優の社会的地位の向上につとめた。

また、九代目市川團十郎は、父・七代目の撰した18種を補足するかたちで、活歴物を含む自らの得意芸を多く盛り込んだ「新歌舞伎十八番」32〜40種も撰している。

常磐津『紅葉狩(新歌舞伎十八番の一つ)』が初演される。

 


 

1888年(明治21)

常磐津浪花太夫が、家元後継者として八代目常磐津小文字太夫を襲名。

 


 

1889年(明治22)

福地桜痴を中心として、新しい劇場をつくろうとする動きが始まり「歌舞伎座」が開場。

十二代目守田勘弥、中村座・市村座・千歳座と連携していわゆる「四座同盟」を結成して、歌舞伎座に役者がでられないように仕向けて立ち往生させるなどの手腕を発揮する。

八代目常磐津小文字太夫が第一期歌舞伎座において専属で起用されることが決まる。

初代常磐津林中が出勤し始める。

 


 

1890年(明治23)

初代市川左團次、新富座の座頭(劇場専属の興行責任者)になる。

常磐津『戻橋(戻橋恋の角文字)・新古演劇十種の一つ』が初演される。

 


 

1891年(明治24)

常磐津『女鳴神(増補女鳴神)』が初演される。

 


 

1892年(明治25)

常磐津『三保の松、羽衣(三保松冨士晨朝)』が初演される。

常磐津『釣狐、太鼓もちつり狐、恋の罠(釣狐廓掛罠)』が初演される。

 


 

1893年(明治26)

河竹黙阿弥、没。

初代市川左團次、明治座を新築し、座元(劇場所有者兼興行総責任者)として近代的な劇場経営を行う。

常磐津『奴凧(奴凧廓春風)』が初演される。

常磐津『七つ面(新七つ面)』が初演される。

日本舞踊・花柳流の家元である初代花柳壽輔の門から出た花柳芳松が若柳吉松(のち若柳壽童)と改名して、若柳流を創始。花柳界で発展したため手振りが多く、品のある日本舞踊であるとされている。

 


 

1894年(明治27)

常磐津『玉藻前(増補双六磐露の玉藻)』が初演される。

常磐津『二人袴』が初演される。

 


 

1895年(明治28)

大谷竹次郎、実川正若一座を率いての巡業をはじめて行い、劇場仲売り白井亀吉に認められ、養子となる(→白井松次郎)。

大谷竹次郎が京都阪井座を買収し、その興行主となる(松竹創業起源)。

常磐津『扇獅子』が初演される。

 


 

1896年(明治29)

常磐津『久米の仙人、うしろ面(後面萩玉川)』が初演される。

常磐津『赤垣徳利場(義士銘々伝)』が初演される。

 


 

1897年(明治30)

十二代目守田勘弥、没。

常磐津『大森彦七新歌舞伎十八番の一つ』が初演される。

 


 

1898年(明治31)

常磐津『羽衣新古演劇十種の一つ』が初演される。

常磐津『三人片輪澤瀉十種の一つ』が初演される。

 


 

1899年(明治32)

常磐津『羽衣、松の羽衣・新古演劇十種の一つ』が初演される。

常磐津『薩摩踊(名慕薩摩踊)』が初演される。

常磐津『七福神(豊文字名誉三囲)』が初演される。

 


 

1900年(明治33)

白井松次郎、京都新京極の大黒座を買い取って直営する。

常磐津『百物語(闇梅百物語)』が初演される。

 


 

1902年(明治35)

京都で白井松次郎・大谷竹次郎兄弟による「松竹合名会社」が誕生。京都新京極に明治座(のちの京都松竹座)を開場、興行界の刷新と演劇改良運動に熱心にかかわるようになる。

八代目常磐津小文字太夫が、六代目常磐津文字太夫を襲名。

 


 

1903年(明治36)

五代目尾上菊五郎、没。

九代目市川團十郎、没。

常磐津『竹生島』が初演される。

 


ラスカルさん
なるほど!松竹の「白井松次郎・大谷竹次郎」兄弟の松竹株式会社が、どんどん芝居小屋を買収していくんだね!
パンダくん
そう!でも、いわゆる敵対的買収ではなく、時代の波に翻弄されて経営困難に陥っている芝居小屋を存続させて行こうとしたんだ!
レッサーさん
うん!歌舞伎界における救世主、いわゆるホワイトナイトだね!

 





レッサーさんの歌舞伎入門「大歌舞伎」のコーナー! 日本の伝統芸能で一番有名な歌舞伎! 日本人ならキチンと知っておきたいよね!

それでは、次回をお楽しみに!しば~ら~く~!

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