【大歌舞伎】歌舞伎の歴史・まとめ年表⑨

日本は伝統を大切にする国です。雅楽・能楽・文楽・歌舞伎。大きくカテゴライズしても、この4大ジャンルに分類できます。この中でも、1番歴史が浅いのですが、世界中で最も認知度が高いのがKABUKIです。庶民の娯楽としておよそ400年前に誕生してから、昭和40年には重要無形文化財に認定され、平成21年にはユネスコから世界無形文化遺産に登録され、現在まで続いています。

ラスカルさん
今回も「まとめ」だね!
パンダくん
うん!いよいよ明治期のお話だよ!
レッサーさん
うん!この時代は、幕府の庇護を失った能楽にとって大変な年になったよね!

 





 


 

さて。この時代は幕末から明治維新という「大変革」の時代です。

それまで江戸幕府の庇護を受けていた能楽大打撃を受け、脚本検閲制度(明治5・1872)により、歌舞伎にも影響が出ます。

それでは、この時代の流れを見ていきましょう。

 


 

1862年(文久2)

二代目河竹新七、十三代目市村羽左衛門(五代目尾上菊五郎)のために書いた「青砥稿花紅彩画(白浪五人男)」が初演される。

初代常磐津豊後大掾没。五代目小文字太夫が江戸三座でタテ語りを勤め始める。

常磐津『油屋(神路山色捧)』が初演される。

常磐津『霞三曲(歌寿三曲始、歌寿美三曲)』が初演される。

常磐津『小夜衣(恨葛露濡衣)』が初演される。

常磐津『縁結び(神有月色世話事)』が初演される。

常磐津『五色晒(呉羽祭錦輦)』が初演される。

のちの五代目清元延壽太夫が生まれる。近世邦楽界でも稀代の名人と言われ、初代常磐津林中に感銘を受けたという。

 


 

1863年(文久3)

常磐津『八笑人(花暦三題噺)』が初演される。

常磐津『市原野のだんまり智仁勇備茲頼光、市原野(当穐俄姿画)』が初演される。

 


 

1864年(元治1)

佐六、中村座「色直肩毛氈」で常磐津太夫文中の名で初舞台。同年10月中村座「廂の春酒宴嶋台」で六代目常磐津小文字太夫を襲名。

名優四代目市川小團次が座頭をつとめ、江戸三座座主(中村勘三郎・十三代目市村羽左衛門・十二代目守田勘弥)、團菊左(初代河原崎権十郎時の九代目市川團十郎・十三代目市村羽左衛門時の五代目尾上菊五郎・初代市川左團次)が揃った60年ごとに開催される中村座寿狂言口上の錦絵に残っている。

常磐津『紅勘(艶紅曙接拙)』が初演される。

常磐津『写絵(其侭姿写絵)』が初演される。

 


 

1865年(慶応1)

常磐津『蘭平(月雪花名歌姿画)』が初演される。

常磐津『月の大漁こち、月の船頭、漁師(月雪花名歌姿画)』が初演される。

常磐津『安宅新関(滑稽俄安宅新関)』が初演される。

 


 

1866年(慶応2)

名優四代目市川小團次、没。

 


 

1867年(慶応3)

常磐津『男女道成寺(東育奴娘道成寺)』が初演される。

常磐津『質屋庫(質庫魂入替)』が初演される。

 


 

1867年(明治1)

明治維新を経て、年号が明治になる。

江戸幕府瓦解後、二十二世観世清孝は将軍家に従って静岡に下る道を選び、東京の観世流は分家の観世紅雪(分家五世、十九世宗家清興の曾孫)と観世流のツレ筆頭とされた梅若家の初世梅若実が孤塁を守ることとなった。

 


 

1869年(明治3)

六代目小文字太夫、中村座「大都会成扇絵合」にて、三代目常磐津文字太夫五十回忌・初代市川男女蔵三十七回忌・四代目常磐津文字太夫七回忌と称し「助六」など全四段の浄瑠璃を一門総出で上演。

常磐津『助六(大都会成扇絵合)』が初演される。

 


 

1870年(明治3)

初代市川左團次、守田座『樟紀流花見幕張』(慶安太平記)の丸橋忠弥が大当たりとなる。

常磐津『宮古路(松花宮古路)』が初演される。

常磐津『額抜け(昔噺額面戯)』が初演される。

常磐津『助六、家桜(家桜廓掛額)』が初演される。

常磐津『八人聟(縁結姿八景)』が初演される。

 


 

1871年(明治4)

常磐津『角田川、班女前物狂(梅花王戯場番組)』が初演される。

常磐津『大津絵、大津絵道成寺(名大津絵劇交張)』が初演される。

 


 

1872年(明治5)

六代目常磐津小文字太夫(佐六文中)没。

明治政府が、歌舞伎では貴人や外国人といった新しい観客層にふさわしく、卑猥残酷な作品の上演を禁じて、高尚かつ史実に忠実な作品を上演するようにと、歌舞伎へ変革を求めた。この脚本検閲制度は1945(昭和20)年まで続いた。

常磐津『墨塗六歌仙(六歌仙狂画墨塗)』が初演される。

能・狂言の「皇上ヲ模擬シ、上ヲ猥涜」するものが禁止され、「勧善懲悪ヲ主トス」ることが命じられた。

 


 

1873年(明治6)

常磐津『宇和島騒動(君臣船浪宇和島)』が初演される。

 


 

1874年(明治7)

常磐津『こんかい・白蔵主(廿三回筐絵双紙』が初演される。

 


 

1875年(明治8)

守田座から新富座に改名。

常磐津『奴道成寺(道成寺真似三面)』が初演される。

 


 

1876年(明治9)

岩倉具視邸天覧能以後、徐々に人気を回復しはじめた能楽界の観世流梅若実観世紅雪とともに観世流の普及につとめ、ついには玄人・素人の弟子に対して梅若の名によって流儀の免状を発行するに至った。しかし宝生九郎・櫻間伴馬とともに「明治の三名人」と称された梅若実の圧倒的な権威もあって、後に東京に戻った二十二世観世清孝には梅若家を抑える力はなかった。

のちの四代目吉住小三郎が生まれる。長唄研精会を組織し、新曲を発表、歌舞伎の附属音楽であった長唄を、独立した演奏会用音楽にまで高めた。初代常磐津林中に感銘を受けたという。

 


 

1877年(明治10)

松竹株式会社創業者の一人「白井松次郎」が生まれる。

松竹株式会社創業者の一人「大谷竹次郎」が生まれる。

 


 

1878年(明治11)

新富座が落成。開場式には、歌舞伎関係者は燕尾服に身を包み、政財界からの来賓が多数参列した。

常磐津『三一文字松言葉(三一文字松言葉)』が初演される。

常磐津『西遊記(通俗西遊記)』が初演される。

明治天皇が、青山御所に能舞台を設置して数々の猿楽を鑑賞した。

 


ラスカルさん
なるほどー!松竹の「白井松次郎・大谷竹次郎」兄弟が誕生したんだね!
パンダくん
そう!この「松竹株式会社」が歌舞伎の運営をするまでは、江戸三座の座主がそれぞれ運営していたんだね!
レッサーさん
うん!能楽界も大きく変わったけど「明治」は、歌舞伎界にとっても大きな変革をもたらしたんだね!

 





レッサーさんの歌舞伎入門「大歌舞伎」のコーナー! 日本の伝統芸能で一番有名な歌舞伎! 日本人ならキチンと知っておきたいよね!

それでは、次回をお楽しみに!しば~ら~く~!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です