【大歌舞伎】歌舞伎の歴史・まとめ年表⑤

日本は伝統を大切にする国です。雅楽・能楽・文楽・歌舞伎。大きくカテゴライズしても、この4大ジャンルに分類できます。この中でも、1番歴史が浅いのですが、世界中で最も認知度が高いのがKABUKIです。庶民の娯楽としておよそ400年前に誕生してから、昭和40年には重要無形文化財に認定され、平成21年にはユネスコから世界無形文化遺産に登録され、現在まで続いています。

ラスカルさん
今回も「まとめ」だね!
パンダくん
うん!今回はあの「歌舞伎十八番」を制定した七代目市川團十郎さんや、、、!
レッサーさん
うん!「五代流派」と言われる日本舞踊の流派が次第に整っていくよ!

 





 


 

さて。歌舞伎の演目も芸術性が高まり、ほぼ現在のものと同じ様式が整いました。俗に化政期(文化・文政期)と呼ばれるこの時代は、初代並木五瓶が上方風の芸風を江戸歌舞伎に導入し、が四代目鶴屋南北が「怪談物」「生世話物」というジャンルを確立した時代でもあります。

 

また、歌舞伎十八番を制定した七代目市川團十郎が活躍したのも、この時代でもあり、常磐津では團十郎の弟分として二代目常磐津小文字太夫が流派を支えていました。七代目市川團十郎二代目常磐津小文字太夫三代目常磐津文字太夫)とは年齢は1つしか違いませんが、團十郎は後ろ盾の五代目團十郎(白猿)をなくし、小文字太夫は別派である吾妻派に押されており、お互いに窮地でした。

 

また、日本舞踊(当時は歌舞伎の振付師をしていた)では、西川流藤間流に続き、能の流れをくむ井上流、歌舞伎役者が興した坂東流が誕生し、現在でも「五代流派」と呼ばれる礎が出来始めました。

 

それでは、この時代の流れを見ていきましょう。

 


 

1783年(天明3)

常磐津『道成寺道行、仲蔵の道行(媚千種錦絵)』が初演される。

 


 

1784年(天明4)

初代中村仲蔵が「積恋雪関扉(つもるこいゆきのせきのと)・常磐津」を初演。二代目文字太夫節附、初代鳥羽屋里長作曲。

のちの三代目尾上菊五郎が生まれる。

常磐津『お房徳兵衛(褄重袷羅衣)』が初演される。

 


 

1785年(天明5)

常磐津『古山姥遠近山姥(四天王大江山入)』が初演される。

 


 

1787年(天明7)

初代常磐津文字太夫の七回忌に、文字太夫遺族から「一代限りの条件」で、初代兼太夫が二代目常磐津文字太夫を継承する。

 


 

1788年(天明8)

常磐津「戻駕色相肩(もどりかごいろにあいかた)」が初演。二代目文字太夫節付け、初代鳥羽屋里長作曲、初代桜田治助作詞。

松平定信が寛政の改革を行い、歌舞伎界も大きな打撃を受ける。

 


 

1789年(天明9)

常磐津『深草少将(花色香〓娘)』が初演される。

 


 

1790年(寛政2)

常磐津『夕霧吉田屋廓文章(其扇屋浮名恋風)』が初演される。

 


 

1791年(寛政3)

のちの七代目市川團十郎が生まれる。

四代目市川海老蔵、六代目市川團十郎を襲名。

 


 

1792年(寛政4)

のちの三代目常磐津文字太夫(林之助)が生まれる。

常磐津『白酒(色鵆寝覚床)』が初演される。

のちの四代目西川扇蔵が生まれる。

 


 

1794年(寛政6)

初代並木五瓶が江戸へ下り、上方風の作劇方法を導入。江戸歌舞伎に新味を加える。

常磐津『忠信(時鳥花有里)』が初演される。

 


 

1795年(寛政7)

常磐津『お妻八郎兵衛(八十八夜恨鮫鞘)』が初演される。

 


 

1796年(寛政8)

常磐津『夜鷹入りお半、お半長右衛門(帯文桂川水)』が初演される。

常磐津『梅川忠兵衛(燕鳥故郷軒)』が初演される。

 


 

1797年(寛政9)

常磐津『浅間初桜(初桜浅間嶽)』が初演される。

常磐津『五人女、伊達姿ゝ勢(五人一座花の盃)』が初演される。

天明時代から近衛家に仕え、曲舞や白拍子舞を学んだ井上サトが、近衛家を退いた際に八千代の芸名と近衛菱紋を贈られ井上流を創始。

 


 

1798年(寛政10)

常磐津『双面、葱売(両顔月姿絵)』が初演される。

常磐津『子別れ、うぶ女(夜の鶴雪〓)』が初演される。

 


 

1799年(寛政11)

六代目市川團十郎急死。五代目團十郎市川白猿の名で舞台に戻る。

二代目常磐津文字太夫没。林之助が二代目小文字太夫を襲名。

二代目兼太夫(二代目文字太夫の弟)が別派吾妻派を興す。

 


 

1800年(寛政12)

市川家元祖百年忌追善興行で、五代目市川團十郎孫のゑび蔵が七代目市川團十郎を襲名する。

 


 

1801年(寛政13)

常磐津『扇売高尾(茂懺悔睦言)』が初演される。

 


 

1803年(享和3)

常磐津『忠信(恋中車初音の旅)』が初演される。

常磐津『雷のお鶴(命懸色の二番目)』が初演される。

 


 

1804年(文化1)

源蔵(のちの四代目鶴屋南北)、初代尾上松助のために書き下ろした「天竺徳兵衛韓噺(てんじくとくべえうきよばなし)」が江戸河原崎座で大当たりを博し、脚光を浴び始める。

源蔵、四代目鶴屋南北を襲名。初代尾上松助とともに怪談物を、七代目市川團十郎・三代目尾上菊五郎・五代目岩井半四郎、五代目松本幸四郎らとともに生世話物をそれぞれ確立した。

淡路の浄瑠璃語り嘉太夫(雅号・文楽軒)が大阪稲荷神社内に小さな小屋を建てる。

のちの四代目常磐津文字太夫(初代常磐津豊後大掾)が生まれる。

常磐津『三津五郎の道行永木の道行(道行面影草)』が初演される。

常磐津『振袖山姥娘山姥(雪振袖山姥)』が初演される。

*この化政期(1804~1830)に三代目三津五郎が坂東流をつくる。江戸歌舞伎きっての舞踊の名手である三代目三津五郎は、単に踊るだけでなく作品を常に演劇的にとらえ「演じる」ことが特徴と言える。

 


 

1805年(文化2)

常磐津『朝比奈末広(烏帽子紐解寝夜)』が初演される。

常磐津『女戻駕(烏帽子紐解寝夜)』が初演される。

 


 

1806年(文化3)

五代目市川團十郎(白猿)没。祖父である五代目を亡くし、後ろ盾をなくした七代目市川團十郎が劇壇の孤児となり化政期の名優たちに揉もまれていったが、着実に実力をつけていった。

 


 

1807年(文化4)

二代目常磐津小文字太夫がタテ語りで初舞台。

常磐津『淡島(禿紋日雛形)』が初演される。

 


 

1808年(文化5)

常磐津『忠信(幾菊蝶初音道行)』が初演される。

常磐津『源太箙源太(倭仮名色七文字)』が初演される。

 


 

1809年(文化5)

二代目小文字太夫、元服し七代目市川團十郎の弟分となる。

常磐津『お七(新煖房雛世話事)』が初演される。

常磐津『舟饅頭(誰同噂仇者)』が初演される。

 


 

1810年(文化7)

初代植村文楽軒没。

常磐津『大和団子、与五郎狂乱(千種の花色世盛)』が初演される。

 


ラスカルさん
おー!西川流、藤間流に続いて、有名な日本舞踊の流派が出始めてきたぞ!
パンダくん
そう!それに植村文楽軒とは、人形浄瑠璃を再興した人なので、、!
レッサーさん
うん!「能楽」「文楽(人形浄瑠璃)」「歌舞伎」「日本舞踊」と、現在の4大伝統芸能ジャンルが、ようやく肩を並べたね!

 





レッサーさんの歌舞伎入門「大歌舞伎」のコーナー! 日本の伝統芸能で一番有名な歌舞伎! 日本人ならキチンと知っておきたいよね!

それでは、次回をお楽しみに!しば~ら~く~!

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