【大歌舞伎】歌舞伎の歴史・まとめ年表②

日本は伝統を大切にする国です。雅楽・能楽・文楽・歌舞伎。大きくカテゴライズしても、この4大ジャンルに分類できます。この中でも、1番歴史が浅いのですが、世界中で最も認知度が高いのがKABUKIです。庶民の娯楽としておよそ400年前に誕生してから、昭和40年には重要無形文化財に認定され、平成21年にはユネスコから世界無形文化遺産に登録され、現在まで続いています。

ラスカルさん
今回は「まとめの2回目」だね!
パンダくん
うん!元禄歌舞伎と言われる時代だね!
レッサーさん
うん!ここが歌舞伎の黎明期!歴史とともに芸術性が増していくんだね!

 





 


 

さて。いよいよ、歌舞伎の時代に入ってきました。父である初代市川團十郎の芸(荒事)に、師匠である生島新五郎(和事)の芸を加え、独自の芸風を作った二代目市川團十郎。「不動の申し子」「役者の氏神」などの二つ名を持っています。

 


 

1662年(寛文1)

初代中村七三郎(江戸・和事)が生まれる。

生島新五郎(和事師)が七三郎の芸を受け継ぎ、のちに二代目團十郎に影響を与えた。これにより、のちの二代目團十郎は、荒事芸(初代團十郎)に和事味(生島新五郎)を加味した、独自の芸風を育て、のちに「助六」「毛抜」などが誕生した。

 


 

1663年(寛文3)

後継者不在のため、森田座が河原崎座を吸収合併。

 


 

1669年(寛文9)

都越後掾(都万太夫)、芝居の興行権を免許され名代となる。京都四条に都万太夫座(現在の南座)を立ち上げる。

 


 

1673年(延宝元)

初代芳沢あやめが生まれる。

 


 

1675年(延宝3)

宇治加賀掾が京都四条で人形芝居の一座を立ち上げる。

 


 

1676年(延宝4)

初代坂田藤十郎、京都・都万太夫座で初舞台。

 


 

1678年(延宝6)

初代坂田藤十郎、「夕霧名残の正月」で伊左衛門を演じ人気を博す。生涯に18回演じるほどの当たり役となり「夕霧に芸たちのぼる坂田かな」と謳われる。のちの「廓文章」に大きな影響を与えた。

 


 

1681年(天和1)

豊竹若太夫生まれる。

 


 

1683年(天和3)

近松門左衛門が加賀掾のために「世継曽我」を書く。上演。

 


 

1684年(貞享元)

竹本義太夫が大坂道頓堀に「竹本座」を開場して座本となる。この旗揚げとして「世継曽我」を上演。

歌舞伎十八番の1つ「鳴神」が初演される。

 


 

1685年(貞享2)

竹本義太夫が「出世景清」を上演。浄瑠璃の転換期となる。道頓堀に宇治加賀掾一座が乗り込むが、火事を起こし敗退する。

初代市川團十郎が、従来の初期歌舞伎から存在する「荒武者事」と「金平浄瑠璃(坂田金時の息子・金平の武勇譚)」とを加味して歌舞伎における「荒事芸」を完成させる(金平六条通い)。

初代坂田藤十郎、遊郭に通う美男子の若旦那が放蕩三昧の末、勘当されて、落ちぶれた姿で馴染の遊女のもとへ通うという「和事」を確立(やや同時期)。「廓文章(1808)」の原典に当たる「夕霧名残の正月」の藤屋伊左衛門を生涯で18回も演じる。

初代澤村宗十郎(初代助高屋高助)生まれる。

 


 

1686年(貞享3)

竹本座上演の「佐々木大鑑」で、初めて「近松門左衛門」の名を出す(それまでは狂言作者の名を面に出す慣例がなかった)。

 


 

1688年(元禄1)

二代目市川團十郎が生まれる。初代團十郎が成田山新勝寺(成田不動)に子宝の願をかけたところ見事生れた子だったので「不動の申し子」といわれた。

 

*元禄年間(1688~1704)に、二代目西川扇蔵が日本舞踊西川流を確立。300年という歴史をもち、多くの流派の源流ともなっている。「舞踊劇」と呼ばれるドラマ性の高い作品に強みを持っている。

 


 

1691年(元禄4)

初代竹田出雲生まれる。

 


 

1693年(元禄6)

これより10年ほど、近松門左衛門は歌舞伎作者となり、都万太夫座(京都)に出勤。坂田藤十郎が得意とした「やつし」「長せりふ」を巧みに取り入れた芝居(歌舞伎)の台本を書くようになる(けいせい仏の原・けいせい壬生大念仏・けいせい浅間嶽など)。その後は浄瑠璃に戻ったが、歌舞伎作者として学んだ「歌舞伎の趣向」が「人形浄瑠璃」の作に生かされることになった。

初代市川團十郎、上洛して京都の舞台に出演するが評判は悪く、1年あまりで江戸に帰る。

初代瀬川菊之丞生まれる。

 


 

1695年(元禄8)

坂田藤十郎、京都・都万太夫座の座元になる。

並木宗輔生まれる。以降、竹本・豊竹両座で活躍。

 


 

1697年(元禄10)

初代市川團十郎、のちに歌舞伎十八番に加えられる「(しばらく)」を初演。

二代目市川團十郎、「兵根元曾我(中村座)」で初舞台。

歌舞伎十八番の1つ「不動」が初演される。

 


 

1698年(元禄11)

初代芳沢あやめ、「傾城浅間嶽」の傾城三浦役が人気を博す。

竹本義太夫、竹本筑後掾の掾号を得る。

竹本義太夫、曽根崎心中で好評を得る。

 


 

1699年(元禄12)

歌舞伎十八番の1つ「(うわなり)」が初演される。

 


 

1702年(元禄15)

歌舞伎十八番の1つ「勧進帳」が初演される。

 


 

1703年(元禄16)

義太夫一座の竹本采女が豊竹若太夫(22)と名のり、道頓堀東に豊竹座を興す。

 


 

1704年(元禄17)

初代市川團十郎、市村座で、役者の生島半六(自身の息子が虐待を受けたことで團十郎を恨んでいた)に舞台上で刺殺される

二代目市川團十郎、父の初代團十郎の横死によって、山村座で二代目を襲名する。

初代藤間勘兵衛が藤間流を創始。のち茅場町の勘十郎家と浜町の勘右衛門家に分かれる。

 


 

1705年(宝永2)

竹本義太夫(54)、経営・初代竹田出雲(14)、座付作者・近松門左衛門(52)とタッグを組み、従来の芸術至上主義から路線を変更し、華やかな舞台演出となる。

*ちなみに豊竹若太夫はこの時24歳。

 


 

1708年(宝永5)

訴訟により、浅草弾左衛門支配(江戸)からの独立を果たす。

初代坂田藤十郎、「夕霧」を最後に舞台活動から去る。

 


 

1709年(宝永6)

初代常磐津文字太夫が生まれる。本名:駿河屋文右衛門。京都の仏具商。

初代坂田藤十郎没。

 


 

1711年(正徳1)

のちの三代目市川團十郎生まれる。

 


 

1713年(正徳3)

二代目市川團十郎。「花館愛護桜(山村座)」で助六を初めて勤めたころから徐々に人気を得るようになる。

歌舞伎十八番の1つ「助六(助六所縁江戸櫻)の原型」となる「花館愛護櫻」が初演される。

 


 

1714年(正徳4)

竹本義太夫死去。竹本政太夫(のちの筑前小掾)が後継に選ばれる。

江島生島事件で山村座は官許取り消して廃座。以降「江戸三座(中村座・市村座・森田座)」になる。

初代芳沢あやめ、江戸に下っていたが帰京。

のちの四代目市川團十郎が初代松本幸四郎の養子(松本七蔵・享保5)となり、女方をつとめる。

 


ラスカルさん
なるほど!こうしてみると知らない名前ばかりだ!
パンダくん
そう!400年ある歌舞伎の歴史の中で、礎(いしずえ)を築いた人って重要なんだよ!
レッサーさん
うん!歴史と共に風化させてはいけない重要な人々だよ!

 





レッサーさんの歌舞伎入門「大歌舞伎」のコーナー! 日本の伝統芸能で一番有名な歌舞伎! 日本人ならキチンと知っておきたいよね!

それでは、次回をお楽しみに!しば~ら~く~!

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