【大歌舞伎】歌舞伎の歴史・まとめ年表①

日本は伝統を大切にする国です。雅楽・能楽・文楽・歌舞伎。大きくカテゴライズしても、この4大ジャンルに分類できます。この中でも、1番歴史が浅いのですが、世界中で最も認知度が高いのがKABUKIです。庶民の娯楽としておよそ400年前に誕生してから、昭和40年には重要無形文化財に認定され、平成21年にはユネスコから世界無形文化遺産に登録され、現在まで続いています。

ラスカルさん
いよいよ「まとめ」だね!
パンダくん
うん!歌舞伎を知るには、その前からある「能」や「浄瑠璃」を知ることが重要だよ!
レッサーさん
そうだね!だいたいのことが頭に入った段階で、年表を見ると「ふぉぉ!そういうことなんだぁ!」って思えるよね!

 





 


 

さて。これまで主に、浄瑠璃、人形浄瑠璃(文楽)、歌舞伎、常磐津という軸で、歴史を振り返ってみました。ざっくりとですが、能楽や筝曲、それに日本舞踊も含めて考えていきたいと思います。

 


 

平安時代(794-1192)の前期

当道座が成立する(→現在の浄瑠璃のもと →現在の筝曲のもと)。

猿楽が成立する(→現在の能楽のもと)。

傀儡子が登場(→現在の文楽のもと)。

 


 

鎌倉時代(1185-1333)の中期

平曲(平家物語+琵琶=平家琵琶)が成立する。

 


 

室町時代(1336-1573)後期

浄瑠璃(浄瑠璃姫物語+琵琶)が成立する(戦国時代)。

観阿弥世阿弥親子が足利義満に支持される(南北朝時代)。

傀儡子の流れをくむ「西宮の夷舁き(人形操り)」が登場。

 


 

1333年(元弘3: 正慶2)

観世流の流祖観阿弥清次が生まれる。

 


 

1363年(正平18:貞治2)

観世流の二世である世阿弥元清が生まれる。その美貌により幼時期より足利義満らの庇護を受け、和歌・連歌をはじめとする上流教養を身につけ成長。父観阿弥没後、観世座の新大夫として近江猿楽の犬王らと人気を競い合い、それまでは物まね中心であった猿楽能に田楽能における歌舞の要素を取りいれていわゆる歌舞能を完成させた。

 


 

1374年(文中3 : 応安7)

観阿弥清次、洛中今熊野の勧進能において足利義満に認められ、以後貴顕の庇護のもと近畿を中心に流勢をのばした。

 


 

1384年(弘和4: 永徳4)

観阿弥清次、没。

 


 

1398年(応永5)

三世音阿弥元重が生まれる。

 


 

1422年(応永29)

世阿弥、出家して大夫を長男観世元雅に譲る。元雅は世阿弥が『夢跡一紙』の中で「子ながらもたぐひなき達人」と評したほどの名手で能作においても優れていた。

 


 

1429年(正長2)

世阿弥の甥である音阿弥(観世元重)を後援する足利義教が将軍に就任。世阿弥・元雅親子の仙洞御所での演能の中止、醍醐寺清滝宮の楽頭職を音阿弥と交代させられるなど様々な圧迫を受けるようになる。

 


 

1432年(永享4)

元雅が客死。

 


 

1433年(永享5)

音阿弥が観世大夫を襲う。現在では音阿弥を三世としている。

 


 

1434年(永享6)

足利義教の命によって世阿弥が佐渡に配流される。晩年の世阿弥は「拾玉得花」を女婿金春禅竹に相伝し、聞書「申楽談義」を残すなど意欲的に活動していたが、これにより観世座は完全に音阿弥によって掌握された。

 


 

1443年(嘉吉3)

二世世阿弥元清、没。数々の能を新作し「風姿花伝」「至花道」「花鏡」といった能楽論を執筆。実演・実作・理論の諸方面で能楽の大成につとめた。

 


 

1467年(応仁1)

三世音阿弥元重、没。「当道の名人」「今の世の最一の上手といへる音阿弥」等の賛辞が当時の資料類に見え、没後も「希代の上手、当道に無双」と讃えられた。

 


 

安土桃山(1592-1599)時代

三味線伝来。豊臣秀吉が淀殿のために作らせた三味線「淀」が最初。滝野検校・澤住検校が浄瑠璃に三味線を使用(浄瑠璃姫物語+三味線)。

天下統一を果たした豊臣秀吉が金春安照(金春流六十二世宗家)に師事し、金春流は公的な催能の際には中心的な役割を果たし、政権公認の流儀として各地の武将たちにもてはやされた。秀吉作のいわゆる「太閤能」も安照らによって型付され、金春流全盛期を迎えた。

 


 

江戸時代(初期)

杉山丹後掾・薩摩浄雲が江戸浄瑠璃開祖となる。門下から多くの浄瑠璃太夫が誕生し、上方・江戸でしのぎを削る。浄瑠璃+三味線+人形操り=人形浄瑠璃となる。

 


 

1603年(慶長8)

徳川家康によって徳川幕府が開かれる。出雲阿国が京都で「阿国かぶき」という念仏踊りを踊りはじめる。

 


 

1614年(慶長19)

のちの八橋検校(筝曲)が生まれる。

 


 

1624年(寛永元)

現在の京橋辺りに、猿若勘三郎(初代中村勘三郎)が常設の芝居小屋「猿若座(中村座)」を立ち上げる。

 


 

1627年(寛永4)

徳川秀忠、黒田長政、伊達政宗、藤堂高虎に愛好された金剛七大夫が、北七大夫を称し、金剛座から独立し喜多座を形成する。一代で喜多流を創立し、記録に残る1000番超の能を舞った七大夫は、秀吉時代から江戸初期を代表する能役者であり、以後彼に並ぶ業績を残した能役者はいないと評価されている。

 


 

1629年(寛永6)

江戸幕府により「女歌舞伎」禁止。若衆歌舞伎がはじまる。

 


 

1634年(寛永11)

現在の日本橋人形町3丁目に、村山又三郎が「村山座」を立ち上げる。

*1652(承応元)に市村羽左衛門が興行権を買い取り「市村座」とした。

 


 

1635年(寛永12年)

宇治加賀掾生まれる。

 


 

1642年(寛永19)

現在の中央区銀座4丁目に、山村小兵衛(初代山村長太夫)が「山村座」を立ち上げる。

 


 

1647年(正保4)

初代坂田藤十郎が生まれる。

 


 

1648年(正保5)

伊藤出羽掾が「しんらんき」を上演して、本願寺から訴えられる。

現在の銀座5丁目に、初代河原崎権之助が河原崎座を立ち上げる。

 


 

1651年(慶安4)

竹本義太夫生まれる。

 


 

1652年(承応1)

江戸幕府により「若衆歌舞伎」禁止。

市村羽左衛門が村山座の興行権を買い取り「市村座」とした。

 


 

1653年(承応2)

野郎歌舞伎が始まる。

近松門左衛門生まれる。

 


 

1660年(万治3年)

宮古路豊後掾(都国太夫半中)が生まれる。

初代市川團十郎が生まれる。

現在の銀座5丁目に、森田太郎兵衛(初代森田勘彌)が「森田座」を立ち上げる。これにより「江戸四座(中村座・市村座・山村座・森田座)+河原崎座」が出揃う。

 


ラスカルさん
なるほど!こうしてみると時系列的には「能・浄瑠璃・筝曲」→「歌舞伎」なんだね!
パンダくん
そう!能楽の前身である「猿楽」と浄瑠璃・筝曲の「当道座」ができたのが同じ時期!
レッサーさん
でも!その時期から現在まで、あまり形を変えていないって。。。能はすごいなぁ!!

 





レッサーさんの歌舞伎入門「大歌舞伎」のコーナー! 日本の伝統芸能で一番有名な歌舞伎! 日本人ならキチンと知っておきたいよね!

それでは、次回をお楽しみに!しば~ら~く~!

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