【大歌舞伎】歌舞伎の歴史⑯ 常磐津作品(創立~江戸時代)

日本は伝統を大切にする国です。雅楽・能楽・文楽・歌舞伎。大きくカテゴライズしても、この4大ジャンルに分類できます。この中でも、1番歴史が浅いのですが、世界中で最も認知度が高いのがKABUKIです。庶民の娯楽としておよそ400年前に誕生してから、昭和40年には重要無形文化財に認定され、平成21年にはユネスコから世界無形文化遺産に登録され、現在まで続いています。

ラスカルさん
今日も歌舞伎のことを勉強して行きましょう!
パンダくん
うん!今日は常磐津のイベントだね!
レッサーさん
そうだね!周辺の芸能のことも併せて考えよう!

 





 


 

 

さて!前回は江戸荒事の「市川宗家」と何かと縁のある「常磐津」ではいったい何が起こったのか!?ということと周辺の芸能の話題を含めて考えてみました。今回はその「常磐津の作品」が成立した年号を追加して考えて行きましょう!

 

 

1747(延享4)

文字太夫・38歳。宮古路姓を改め関東文字太夫と名乗るが北町奉行から禁止。同年11月「二代目市川團十郎・初代澤村宗十郎・初代瀬川菊之丞」が揃った「三千両の顔見世(中村座)」で常磐津文字太夫の狼煙をあげ、常磐津を創流

元祖出雲こと初代竹田出雲が死去。あとは親方出雲とのちに呼ばれる二代目竹田出雲に引き継がれる。

三代名作の一つ「義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)、二代目竹田出雲・三好松洛・並木千柳の合作」が大阪竹本座で初演。

常磐津『老松』『子宝』が初演される。

 

1748(延享5)

常磐津文字太夫・39歳。弟弟子である初代常磐津小文字太夫(前名・宮古路小文字太夫)が独立し、富本節を興す。のちに清元節へとつながる。

三代名作の一つ「義経千本桜」が歌舞伎にうつされる(伊勢の芝居)。

三代名作の一つ「仮名手本忠臣蔵(かなてほんちゅうしんぐら)」が大阪竹本座で初演。すぐさま歌舞伎にうつされる(大阪嵐三五郎座)。

 

1749(延享6)

富本豊志太夫(元・初代常磐津小文字太夫)が受領「富本豊前掾藤原敬親」となる。

 

1751(宝暦1)

並木宗輔が死去。その絶筆作「一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)」が大阪豊竹座で初演。

 

1753年(宝暦3)

常磐津文字太夫・44歳。市村座での「鐘入妹背俤」の出語りで大好評を博す。

一谷嫩軍記」が歌舞伎で初演(江戸守田座・中村座)。

並木正三が「けいせい天羽衣」で舞台の三間四方をせり上げるなど、舞台機構にさまざまな工夫を凝らし始める。

長唄「京鹿子娘道成寺(きょうがのこむすめどうじょうじ)」初演。初代杵屋弥三郎作曲、藤本斗文作詞。

 

1754(宝暦4)

二代目市川海老蔵(二代目團十郎)、門弟(実子とも?)の二代目松本幸四郎を養子とし、四代目市川團十郎を継がせる。四代目市川團十郎の実子(幸蔵)が三代目松本幸四郎を襲名。

 

1755(宝暦5)

のちの四代目鶴屋南北が生まれる。

 

1756(宝暦6)

二代目竹田出雲が死去。

 

1758(宝暦8)

並木正三「三拾石艠始(さんじっこくよふねのはじまり)」で舞台を何度も廻す転換を見せる。以前にも存在した「廻して転換する方法」は、この時初めて舞台の下を掘り下げ、奈落の下に張られた網を引いて転換する、という大掛かりな方法がとられた。《廻り舞台》のはじまりとなる。

 

1760(宝暦10)

富本豊前掾藤原敬親が、再び受領「富本筑前掾」となる。

 

1764(明和1)

豊竹若太夫(越前小掾)が死去。人形浄瑠璃界に暗雲が立ち込め始める。

五代目松本幸四郎が生まれる。

 

1765(明和2)

豊竹座の経営権が人手に移る。

常磐津『蜘蛛の糸』が初演される。

 

1768(明和5)

初代常磐津文字太夫の相三味線・初代佐々木市蔵没。

 

1769(明和6)

常磐津鐘太夫が兼太夫(のちの二代目文字太夫)と改め、初代文字太夫の脇語りに抜擢される。

 

1770(明和7)

四代目市川團十郎、実子の三代目松本幸四郎に五代目團十郎を譲り、自らは二代目幸四郎に戻った。

 

1771(明和8)

竹本座が完全に閉じ、歌舞伎芝居の小屋となる。

 

1773(安永2)

常磐津文字太夫・64歳。市村座「錦敷色義仲」を最後に引退。隠居名を松根亭松寿斎とする。

常磐津兼太夫、守田座「明櫻旅思出」で初タテ語り。

 

1774(安永3)

常磐津『景勝団子』が初演される。

 

1775(安永4)

舞踊の名手「三代目坂東三津五郎」が生まれる。

 

1776(安永5)

源蔵(のちの四代目鶴屋南北)、初代桜田治助の門に入り、金井三笑、並木五瓶、中村重助、増山金八らに師事し、下積み時代が30年ほど続く。

五代目岩井半四郎が生まれる。

 

1778(安永7)

四代目市川團十郎没。

舞踊の名手「三代目中村歌右衛門」が生まれる。

常磐津『善知鳥(紅葉傘糸錦色木)』が初演される。

 

1780(安永9)

常磐津『布袋(色映紅葉章』が初演される。

 

1781(天明1)

初代常磐津文字太夫没。享年72歳。

 

1783(天明3)

常磐津『道成寺道行仲蔵の道行(媚千種錦絵)』が初演される。

 

1784(天明4)

初代中村仲蔵が「積恋雪関扉(つもるこいゆきのせきのと)・常磐津」を初演。二代目文字太夫節附、初代鳥羽屋里長作曲。

三代目尾上菊五郎が生まれる。

常磐津『お房徳兵衛(褄重袷羅衣)』が初演される。

 

1785(天明5)

常磐津『古山姥遠近山姥(四天王大江山入)』が初演される。

 

1787(天明7)

初代常磐津文字太夫の七回忌に、文字太夫遺族から「一代限りの条件」で、初代兼太夫が二代目常磐津文字太夫を継承する。

 

1788(天明8)

常磐津「戻駕色相肩(もどりかごいろにあいかた)」が初演。二代目文字太夫節付、初代鳥羽屋里長作曲、初代桜田治助作詞。

松平定信が寛政の改革を行い、歌舞伎界も大きな打撃を受ける。

 

1789(天明9)

常磐津『深草少将(花色香〓娘)』が初演される。

 

1790(寛政2)

常磐津『夕霧吉田屋廓文章(其扇屋浮名恋風)』が初演される。

 

1791(寛政3)

七代目市川團十郎が生まれる。

四代目市川海老蔵、六代目市川團十郎を襲名。

 

1792(寛政4)

のちの三代目常磐津文字太夫(林之助)が生まれる。

常磐津『白酒(色鵆寝覚床)』が初演される。

 

1794(寛政6)

初代並木五瓶が江戸へ下り、上方風の作劇方法を導入。江戸歌舞伎に新味を加える。

常磐津『忠信(時鳥花有里)』が初演される。

 

1795(寛政7)

常磐津『お妻八郎兵衛(八十八夜恨鮫鞘)』が初演される。

 

1796(寛政8)

常磐津『夜鷹入りお半お半長右衛門(帯文桂川水)』が初演される。

常磐津『梅川忠兵衛(燕鳥故郷軒)』が初演される。

 

1797(寛政9)

常磐津『浅間初桜(初桜浅間嶽)』が初演される。

常磐津『五人女伊達姿ゝ勢(五人一座花の盃)』が初演される。

 

1798(寛政10)

常磐津『双面葱売(両顔月姿絵)』が初演される。

常磐津『子別れうぶ女(夜の鶴雪〓)』が初演される。

 

1799(寛政11)

六代目市川團十郎急死。五代目團十郎が市川白猿の名で舞台に戻る。

二代目常磐津文字太夫没。林之助が二代目小文字太夫を襲名。

二代目兼太夫(二代目文字太夫の弟)が別派吾妻派を興す。

 

1800(寛政12)

市川家元祖百年忌追善興行で、五代目市川團十郎孫のゑび蔵が七代目市川團十郎を襲名する。

 

1801(寛政13)

常磐津『扇売高尾(茂懺悔睦言)』が初演される。

 

1803(享和3)

常磐津『忠信(恋中車初音の旅)』が初演される。

常磐津『雷のお鶴(命懸色の二番目)』が初演される。

 

1804(文化1)

源蔵(のちの四代目鶴屋南北)、初代尾上松助のために書き下ろした「天竺徳兵衛韓噺(てんじくとくべえうきよばなし)」が江戸河原崎座で大当たりを博し、脚光を浴び始める。

源蔵、四代目鶴屋南北を襲名。初代尾上松助とともに怪談物を、七代目市川團十郎・三代目尾上菊五郎・五代目岩井半四郎、五代目松本幸四郎らとともに生世話物をそれぞれ確立した。

淡路の浄瑠璃語り嘉太夫(雅号・文楽軒)が大阪稲荷神社内に小さな小屋を建てる。

のちの四代目常磐津文字太夫(初代常磐津豊後大掾)が生まれる。

常磐津『三津五郎の道行永木の道行(道行面影草)』が初演される。

常磐津『振袖山姥娘山姥(雪振袖山姥)』が初演される。

 

1805(文化2)

常磐津『朝比奈末広(烏帽子紐解寝夜)』が初演される。

常磐津『女戻駕(烏帽子紐解寝夜)』が初演される。

 

1806(文化3)

五代目市川團十郎(白猿)没。祖父である五代目を亡くし、後ろ盾をなくした七代目市川團十郎が劇壇の孤児となり化政期の名優たちに揉もまれていったが、着実に実力をつけていった。

 

1807(文化4)

二代目常磐津小文字太夫がタテ語りで初舞台。

常磐津『淡島(禿紋日雛形)』が初演される。

 

1808(文化5)

常磐津『忠信(幾菊蝶初音道行)』が初演される。

常磐津『源太箙源太(倭仮名色七文字)』が初演される。

 

1809(文化5)

二代目小文字太夫、元服し七代目市川團十郎の弟分となる。

常磐津『お七(新煖房雛世話事)』が初演される。

常磐津『舟饅頭(誰同噂仇者)』が初演される。

 

1810(文化7)

初代文楽軒没。

常磐津『大和団子与五郎狂乱(千種の花色世盛)』が初演される。

 

1811(文化8)

二代目文楽軒が浄瑠璃小屋を正式に開場。経営を始め、基礎を固める。以降、三代目の文楽翁に引き継がれる。人形浄瑠璃は「文楽軒の芝居」と言われ、明治4年以降、芝居小屋は文楽座と呼ばれるようになったので、現在では人形浄瑠璃=文楽と呼ばれるようになる。

三代目坂東三津五郎が七変化舞踊「七枚続花の姿絵(しちまいつづきはなのすがたえ)を上演したのに対し、三代目中村歌右衛門が「遅桜手爾葉七文字(おそざくらてにはのななもじ)」を上演し、江戸中の評判となる。

歌舞伎十八番の1つ「助六(助六所縁江戸櫻)」が初演される。

常磐津『願人坊主浮かれ坊主(七枚続花の姿絵)』が初演される。

常磐津『汐汲松風(七枚続花の姿絵)』が初演される。

 

1812(文化9)

名優四代目市川小團次が生まれる。

常磐津『三勝半七(其常磐津仇兼言)』が初演される。

 

1813(文化10)

江戸森田座で「お染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり)・お染の七役」が初演。四代目鶴屋南北作。

常磐津『橋弁慶(慣ちょっと七化)』が初演される。

常磐津『田舎ごぜ(四季詠寄三大字)』が初演される。

常磐津『松魚売いさみ商人(四季詠寄三大字)』が初演される。

常磐津『台所唐人(四季詠寄三大字)』が初演される。

常磐津『景清滝詣の景清(閏茲姿八景)』が初演される。

常磐津『水売(閏茲姿八景)』が初演される。

常磐津『晒女近江のお兼(閏茲姿八景)』が初演される。

 

1814(文化11)

常磐津『二人若松(都鳥名所渡)』が初演される。

常磐津『男舞男舞の神楽歌(倣三升四季俳優)』が初演される。

常磐津『山姥(親子連枝鶯)』が初演される。

 

1815(文化12)

江戸河原崎座で、変化舞踊「伊達の十役」が初演される。

常磐津『鎗持奴月の辻君・夜鷹うしろ面(其九絵彩四季桜)』が初演される。

常磐津『須磨(今様須磨の写絵)』が初演される。

 

1816(文化13)

河竹黙阿弥が生まれる。

常磐津『女太夫(七小町容彩四季)』が初演される。

 

1817(文化14)

常磐津『太神楽(松色操高砂)』が初演される。

 

1818(文政1)

常磐津『三ッ人形(其姿花図絵)』が初演される。

常磐津『からくり(其姿花図絵)』が初演される。

常磐津『時知るやの三つ面(誰身色和事)』が初演される

 

1819年(文政2)

二代目小文字太夫、三代目常磐津文字太夫を襲名。しかし、同年7月に没。

初代文字太夫を曽祖父にもつ歌舞伎役者の市川男熊が、血縁だった縁故により三代目小文字太夫を襲名。家元後継者として迎えられる。

常磐津『箱根の五郎下山五郎(春霞蝶道草)』が初演される

常磐津『舞鶴屋虎少将(睦月筈紋日)』が初演される

常磐津『雨の鉢木(再夕暮雨の鉢木)』が初演される

常磐津『薄雪道行新薄雪薄雪狂乱(大和文字恋の歌)』が初演される。

常磐津『百夜通百代車(去程恋重荷)』が初演される。

 

1820(文政3)

三代目常磐津小文字太夫、江戸三座筆頭に名前を出し、河原崎座「老松」のタテに座り、尾上菊五郎が名弘めの口上を述べ、初舞台を勤める。

常磐津『山鳥(一樹蔭雪〓)』が初演される。

常磐津『大工(花紅葉士農工商)』が初演される。

 

1821(文政4)

のちの四代目市川小團次、七代目市川團十郎の門弟となる。

常磐津『伊吾餅(色盛松楓道)』が初演される。

 

1822(文政5)

のちの五代目常磐津文字太夫が生まれる。

常磐津『忠臣蔵八段目(其侭旅路の嫁入)』が初演される。

 

1823(文政6)

八代目市川團十郎が生まれる。

三代目小文字太夫、七代目市川團十郎が烏帽子親となり、四代目常磐津文字太夫を襲名。

 

1825(文政8)

江戸中村座で、「仮名手本忠臣蔵」の世界を用いた外伝、南北の代表的な生世話狂言である「東海道四谷怪談(とうかいどうよつやかいだん・四代目鶴屋南北作・七代目市川團十郎出演)」が初演。

江戸中村座で、「東海道四谷怪談」の後日譚、並木五瓶の「五大力恋緘(ごだいりきこいのふうじめ)」の書き換え、「仮名手本忠臣蔵」の外伝としての性格を持つ「盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)」が初演。

三代目小文字太夫、実兄三代目市川門之助の急逝により四代目市川門之助の名義も継承。

常磐津『朝比奈釣狐(寄罠娼釣髭)』が初演される。

常磐津『お染(道行浮寝〓鳥)』が初演される。

 

1828(文政11)

常磐津『鴛鴦(鴛鴦容姿の正夢)』が初演される。

常磐津『芥太夫ごみ太夫(拙筆力七以呂波)』が初演される。

常磐津『瓢箪鯰(拙筆力七以呂波)』が初演される。

常磐津『乙姫(拙筆力七以呂波)』が初演される。

常磐津『角兵衛(后の月酒宴島台)』が初演される。

常磐津『宗清(恩愛〓関守)』が初演される。

 

1829(文政12)

四代目鶴屋南北(大南北)没。

常磐津『松の調(十二段松の調)』が初演される。

 

1830(文政13)

三代目常磐津小文字太夫「元祖宮古路豊後掾百年・初世文字太夫五十年」と銘打ち、小文字太夫名弘め会を開催。

常磐津『毛氈お亀与兵衛(色直肩毛氈)』が初演される。

常磐津『土佐画(江戸桜衆袖土産)』が初演される。

 

1831(天保1)

常磐津『新子守(紫扇の交張)』が初演される。

常磐津『葛の葉(四季詠所作の花)』が初演される。

 

1832(天保3)

舞踊の名手「三代目坂東三津五郎」没。

七代目市川團十郎、親子二代襲名では息子六代目海老蔵に八代目市川團十郎を譲り、自身は旧名の海老蔵を名のった。その際、代々の團十郎が得意とした18作品を選び「歌舞伎十八番」とした。

常磐津『道成寺道行(道行丸い字)』が初演される。

常磐津『神功皇后と武内宿禰通人野暮大尽漁師(弥生の花浅草祭)』が初演される。

常磐津『三ッ面子守(寄三枡五大字桜)』が初演される。

 

1833(天保4)

常磐津『節句遊(節句遊恋の手習・上)』が初演される。

常磐津『三人生酔両国三人生酔夕涼み三人生酔(節句遊恋の手習・下)』が初演される。

常磐津『お三輪妹背山道行(願糸縁苧環)』が初演される。

 

1835(天保6)

のちの河竹黙阿弥、五代目鶴屋南北の門下となる。

 

1836(天保7)

のちの五代目常磐津文字太夫、家元家に養子入りし、林之助を名乗る。

常磐津『将門滝夜叉(忍夜恋曲者)』が初演される。

常磐津『七里姫狂乱日蓮記(狂華法手向)』が初演される。

 

1837(天保8)

三代目小文字太夫、四代目文字太夫を襲名披露。七代目市川團十郎(=五代目市川海老蔵)、初代岩井紫若らが襲名の口上を述べる。林之助が四代目常磐津小文字太夫を名乗る。

常磐津『巽八景』が初演される。

常磐津『蜘蛛の糸(来宵蜘蛛線・蜘糸宿直噺とも)』が初演される。

 

1838(天保9)

踊りの名手「三代目中村歌右衛門」没。

五代目松本幸四郎、没。

常磐津『お半(帯文川傍柳)』が初演される。

常磐津『釣狐釣狐の対面狐工藤若木の曽我(若木花容彩四季)』が初演される。

常磐津『三人仕丁林間林間三人生酔(若木花容彩四季)』が初演される。

常磐津『五人囃子(内裡模様源氏紫)』が初演される。

常磐津『俳諧師(三幅対和歌姿画)』が初演される。

常磐津『むきみ売(心中三舛扇)』が初演される。

常磐津『靭猿新うつぼ(花舞台霞の猿曳)』が初演される。

 

1839(天保10)

常磐津『船の高尾(濃楓色三股)』が初演される。

常磐津『三つ面椀久歌右衛門椀久(狂乱廓三面)』が初演される。

常磐津『雷船頭夏船頭(四季詠〓歳)』が初演される。

常磐津『屋敷娘蝶々娘(四季詠〓歳)』が初演される。

常磐津『年増(花翫暦色所八景)』が初演される。

常磐津『飴売(花翫暦色所八景)』が初演される。

常磐津『景清五条坂(花翫暦色所八景)』が初演される。

常磐津『佃舟頭巽船頭船乗の帰帆(花翫暦色所八景)』が初演される。

 

1840(天保11)

七代目市川團十郎(=五代目市川海老蔵)、初代市川團十郎の生誕190年を祝い、初代市川團十郎が上演した「勧進帳」を復活させる。能「安宅」を参照し、現在の「勧進帳」をつくり上げた。

四代目常磐津小文字太夫、市村座「吉埜山雪振事」で立語りとなり同年市村座顔見世番付で筆頭となる。

常磐津『女夫狐又五郎狐(吉埜山雪振事)』が初演される。

 

1841(天保12)

天保の改革により、歌舞伎が大弾圧をうける。

七代目市川團十郎、江戸を追放される。

二代目中村富十郎、摂津、河内、和泉を追放される。

中村座・市村座・河原崎座は、悪所と言われ遊郭と同等とされる浅草猿若町へと強制移転させられる。天保の改革で下火となったが、八代目市川團十郎人気のおかげで、芝居町には徐々に客が溢れるようになる。

佐六文中こと、のちの六代目小文字太夫が生まれる。

常磐津『大黒舞(舞奏いろの種蒔)』が初演される。

常磐津『お妻八郎兵衛丹波屋鰻谷(心中浮名の鮫鞘)』が初演される。

常磐津『茶屋廻り(八重九重花姿絵)』が初演される。

常磐津『与五郎狂乱吾妻与五郎道行(乱朝恋山崎)』が初演される。

 

1843(天保14)

のちの河竹黙阿弥、二代目河竹新七を襲名し、立作者となる。

常磐津『乗合船万歳(乗合船恵方万歳)』が初演される。

 

1844(弘化1)

市川米十郎が四代目市川小團次を襲名。三代目中村歌右衛門の死後、劇場関係者にとっては次の大看板を期待する有望な若手だった。

常磐津『小いな半兵衛(千種野恋の両道)』が初演される。

 

1845(弘化2)

常磐津『粟餅黄金餅(花競俄曲突)』が初演される。

常磐津『寿三羽叟』が初演される。

常磐津『須磨琴(恋弦結颯琴)』が初演される。

 

1846(弘化3)

常磐津『どんつく(神楽諷雲井曲毬)』が初演される。

常磐津『枇杷葉湯(道行恋山崎)』が初演される。

常磐津『貝屋善吉邯鄲(邯鄲)』が初演される。

常磐津『喜撰康秀(六歌仙)』が初演される。

 

1847(弘化4)

五代目岩井半四郎、没。

常磐津『宮八景』が初演される。

常磐津『とてつる拳俄万歳(笑門俄七福)』が初演される。

常磐津『駕屋かご屋六段目(仮名手本忠臣蔵)』が初演される。

常磐津『下女おりん九段目(仮名手本忠臣蔵)』が初演される。

常磐津『丁稚伊吾十段目(仮名手本忠臣蔵)』が初演される。

常磐津『京人形左甚五郎京人形左彫(時翫雛浅草八景)』が初演される。

常磐津『旅雀(旅雀三芳穐)』が初演される。

常磐津『夕月船頭(四季写土佐画拙)』が初演される。

常磐津『(四季写土佐画拙)』が初演される。

常磐津『大黒(四季写土佐画拙)』が初演される。

 

1848(嘉永1)

常磐津『今様望月(今様望月)』が初演される。

常磐津『山姥新山姥(薪荷雪間の市川)』が初演される。

 

1849(嘉永2)

三代目尾上菊五郎、没。

常磐津『士農工商(四民歌土佐画彩)』が初演される。

常磐津『釣狐廓釣狐(余波五色花魁香)』が初演される。

 

1850(嘉永3)

四代目常磐津文字太夫、嵯峨御所から受領して「初代常磐津豊後大掾」の掾号を得る。

のちの六代目常磐津文字太夫が生まれる。

常磐津『広尾八景岸の松(千代の友鶴)』が初演される。

常磐津『喜撰(六歌仙花彩)』が初演される。

常磐津『八犬伝富山の段(八犬義士誉勇猛)』が初演される。

 

1851(嘉永4)

常磐津『勢獅子(勢獅子劇場花〓)』が初演される。

 

1852(嘉永5)

養子に出ていた三代目河原崎長十郎(七代目市川團十郎五男)が、初代河原崎権十郎を襲名。

常磐津『新万歳大坂万歳(月柳廓髪梳)』が初演される。

 

1853(嘉永6)

二代目河竹新七、立作者となっても永いあいだ鳴かず飛ばずだったが、四代目市川小團次のために書いた「都鳥廓白波(忍の惣太)」が大当たりをとり出世作となる。

三代目瀬川如皐の「与話情浮名横櫛(切られ与三)」が初演される。四代目市川小團次が八代目市川團十郎と組んで競演。

二代目河竹新七、三代目瀬川如皐が書いた「与話情浮名横櫛(切られ与三)」を書き換え、三代目澤村田之助のために書いた「処女翫浮名横櫛(切られお富)」が初演される。

常磐津『色湊宝入船(色湊宝入船)』が初演される。

常磐津『目鬘売(霞色連一群)』が初演される。

常磐津『白縫(樹闇恋曲者)』が初演される。

 

1854(安政1)

八代目市川團十郎、没。

常磐津『梅が枝(廓操無間の鐘優)』が初演される。

 

1855(安政2)

初代河原崎権十郎(=七代目河原崎権之助→河原崎三升)、九代目市川團十郎を襲名。

常磐津『三世相錦繍文章』が初演される。

常磐津『式三番(式三番叟)』が初演される。

 

1856(安政3)

常磐津『瀬川五郷(浅緑露玉川)』が初演される。

常磐津『忠綱奴つき景清丹前の名古屋帯名古屋丹前(伊勢名所業土産)』が初演される。

 

1857(安政4)

常磐津『式三番・上(偐緑笑遠山)』が初演される。

 

1858(安政5)

二代目河竹新七、四代目市川小團次のために書いた「小袖曾我薊色縫(十六夜清心)」が初演される。

四代目小文字太夫、五代目常磐津文字太夫を襲名したが、ほどなく養父・初代豊後大掾(四代目文字太夫)との確執が生じ家元家を離縁。桐生小文字が五代目小文字太夫を襲名。

常磐津『高砂の松』が初演される。

常磐津『常磐の老松』が初演される。

 

1859(安政6)

七代目市川團十郎、没。

 

1860(安政7)

二代目河竹新七、四代目市川小團次のために書いた「三人吉三廓初買(三人吉三)」が初演される。

常磐津『夜討曽我今様夜討曽我夜討曾我雨濡事十番斬(四季文台名残花)』が初演される。

 

1861年(安政8)

前段常磐津出語り「三世相錦繡文章」を発端に常磐津家元と三味線方の岸澤家が分離。

離縁された元五代目文字太夫が六代目兼太夫と改名。

常磐津『末広がり(寿末広)』が初演される。

常磐津『新粟餅(契恋春粟餅)』が初演される。

常磐津『茶つみ(六歌仙和略風俗)』が初演される。

常磐津『鶴亀(細石巌鶴亀)』が初演される。

常磐津『廓八景(其儘廓八景)』が初演される。

常磐津『高砂尉姥(道行故今の色睦)』が初演される。

常磐津『末広がり(末広旭雛鶴)』が初演される。

常磐津『縁苧環御殿竹に雀(妹背山婦女庭訓)』が初演される。

 

1862(文久2)

二代目河竹新七、十三代目市村羽左衛門(五代目尾上菊五郎)のために書いた「青砥稿花紅彩画(白浪五人男)」が初演される。

初代常磐津豊後大掾没。五代目小文字太夫が江戸三座でタテ語りを勤め始める。

常磐津『油屋(神路山色捧)』が初演される。

常磐津『霞三曲(歌寿三曲始、歌寿美三曲)』が初演される。

常磐津『小夜衣(恨葛露濡衣)』が初演される。

常磐津『縁結び(神有月色世話事)』が初演される。

常磐津『五色晒(呉羽祭錦輦)』が初演される。

 

1863(文久3)

常磐津『八笑人(花暦三題噺)』が初演される。

常磐津『智仁勇備茲頼光市原野のだんまり市原野(当穐俄姿画)』が初演される。

 

1864(元治1)

佐六、中村座「色直肩毛氈」で常磐津太夫文中の名で初舞台。同年10月中村座「廂の春酒宴嶋台」で六代目常磐津小文字太夫を襲名。名優四代目市川小團次が座頭をつとめ、江戸三座座主(中村勘三郎・十三代目市村羽左衛門・十二代目守田勘弥)、團菊左(初代河原崎権十郎時の九代目市川團十郎・十三代目市村羽左衛門時の五代目尾上菊五郎・初代市川左團次)が揃った60年ごとに開催される中村座寿狂言口上の錦絵に残っている。

常磐津『紅勘(艶紅曙接拙)』が初演される。

常磐津『写絵(其侭姿写絵)』が初演される。

 

1865(慶応1)

常磐津『蘭平(月雪花名歌姿画)』が初演される。

常磐津『月の船頭こち月の大漁漁師(月雪花名歌姿画)』が初演される。

常磐津『安宅新関(滑稽俄安宅新関)』が初演される。

 

1866(慶応2)

名優四代目市川小團次、没。

 

1867(慶応3)

常磐津『男女道成寺(東育奴娘道成寺)』が初演される。

常磐津『質屋庫(質庫魂入替)』が初演される。

 

1869年(明治1)

六代目小文字太夫、中村座「大都会成扇絵合」にて、三代目常磐津文字太夫五十回忌・初代市川男女蔵三十七回忌・四代目常磐津文字太夫七回忌と称し「助六」など全四段の浄瑠璃を一門総出で上演。

 

1893(明治26)

河竹黙阿弥、没。

 


ラスカルさん
う~ん!常磐津の歴史すごいなぁ!
パンダくん
うん!市川宗家と深いかかわりがあるから、歌舞伎の歴史を紐解く上でとても参考になるよね!
レッサーさん
そう!歌舞伎史を読み解く上で、避けては通れないジャンル(流派)だよ!

 





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それでは、次回をお楽しみに!しば~ら~く~!

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