【大歌舞伎】歌舞伎の歴史⑨ 宮古路豊後掾

日本は伝統を大切にする国です。雅楽・能楽・文楽・歌舞伎。大きくカテゴライズしても、この4大ジャンルに分類できます。この中でも、1番歴史が浅いのですが、世界中で最も認知度が高いのがKABUKIです。庶民の娯楽としておよそ400年前に誕生してから、昭和40年には重要無形文化財に認定され、平成21年にはユネスコから世界無形文化遺産に登録され、現在まで続いています。

ラスカルさん
今日も楽しみながら歌舞伎を学んでいきましょうね!
パンダくん
うん!だんだん歌舞伎のなんたるかが、分かってきたよ!
レッサーさん
そうだね!奥が深いから、楽しみながら、先へ先へ進んでいこう!

 





 


 

さて。再び浄瑠璃に話を戻しましょう。森田座が立ち上がり「江戸四座(中村座・市村座・山村座・森田座)」「河原崎座(のちに森田座の控え櫓)」が出そろった年。初代市川團十郎が江戸で生まれた年と同じ1660(万治3年)の京都に宮古路豊後掾が生まれます。享保初年頃は、都国太夫半中といい、都太夫一中(一中節始祖)に師事していました。

 

1723(享保8)に師が没すると、都路国太夫と改名して独立します。1730(享保15)には、さらに宮古路豊後と改名し豊後節(のちに多くの豊後系浄瑠璃を生み出す本家本元)を創始。その人気は絶大で、国太夫節、または半中節とも言われ、豊後掾の髪形や長羽織を真似る「文金風」が一世風靡し、またたくまに一大ブームが広まりました。

 

しかし、1731(享保16)。あまりの人気ぶりに、江戸で豊後節禁止が発せられてしまいます。江戸の禁止を受けて1732(享保17)から、高弟である宮古路文字太夫を伴って名古屋に進出します。1733(享保18)の夏。名古屋の「闇の森(くらがりのもり)」にて、日置の畳屋伊八と飴屋町花村屋抱え遊女おさんが心中を成し、未遂に終った実際の事件がありました。

 

法により二人は三日の間晒し者になりましたが、その後は罪を問われぬまま親元へ返され、二人は無事に夫婦となり男子を設けたそうです。名古屋に滞在していた宮古路豊後掾がこの事件を題材に「おさん伊八・睦月連理椿(むつきれんりのたまつばき)」を書き下ろし(作中では「おさん・伊八」→「小さん・喜八」に改名)、1734(享保19)に名古屋広小路・黄金薬師(今の錦三丁目の圓輪寺の場所)で初演し、大評判となります。

 

一緒にいた高弟・宮古路文字太夫を名古屋に残して、再び江戸に進出します。播磨座で「おさん伊八道行」を演じ好評を受けると、掾号*1を受領*2して宮古路豊後掾橘盛村となり、大劇場である江戸中村座に進出しました。1738(元文3)には、江戸での舞台を弟子にまかせると、自身は再び西に戻り、京阪の劇場で活躍します。

*1 掾号=中世以後、職人・芸人に宮中・宮家から名誉称号として授けられるようになりましたが、江戸時代中期以後はとくに浄瑠璃太夫の称号となりました。

*2 受領=掾号を授けられることを「受領する」といいます。

 

1739(元文4)には江戸町奉行水野勝彦によって、浄瑠璃太夫の名を出すこと、稽古場の看板をあげること、文金風を真似ること、などが禁止され、非常に厳しい弾圧を受けました。1740(元文5)に没してしまいます。

 

豊後節の芸風は劇的というよりは情緒的、歌謡本位の艶のある芸風であり、あまりに煽情的で弾圧されたほどだったそうです。ちなみに当時(古浄瑠璃)は「硬派(無骨な芸風)」「軟派(色気ある芸風)」と学術的に分類され、豊後節は軟派系浄瑠璃の筆頭でした。

 

当時の狂歌*3に「河東裃、外記袴、半太羽織に義太股引、豊後かわいや丸裸」と言われたほどです。河東節は上下を身につけているほど格式が高く、外記節や半太夫節がそれに続き、義太夫節はカジュアルで、豊後節は一糸まとわぬ姿のようにエロティックだ、というものです。

*3 狂歌=社会風刺や皮肉、滑稽を盛り込み、五・七・五・七・七の音で構成した諧謔形式の短歌(和歌)。

 

また、この「丸裸」の意味は、一大ブームにもかかわらず、徳川吉宗によって大弾圧を受け、舞台も稽古もできず「丸裸にされた」というニュアンスを含んでいます。

 

ちなみにこの大弾圧は、頻繁に起きた武士階級の子息令嬢の心中事件(江戸町奉行水野勝彦の子を含む)と関係づけられたのが原因と言われていますが、宮古路豊後掾が尾張藩の徳川宗春と親交があり、享保の改革を打ち出した8代徳川吉宗と徳川宗春との対立が、少なからず豊後節弾圧に関係しているという説もあります。

そう考えると、先の「月光院(7代徳川家継の生母)」と「天英院(前将軍家宣の正室)」との対立により「山村座が消滅」したことで、天英院が推していた徳川吉宗が8代将軍になったことと繋がってきますね!

 

1660(万治3年)

宮古路豊後掾(都国太夫半中)生まれる。

初代市川團十郎が生まれる。

現在の銀座5丁目に、森田太郎兵衛(初代森田勘彌)が「森田座」を立ち上げる。

 

1662(寛文1)

初代中村七三郎が生まれる。

 

1663(寛文3)

後継者不在のため、森田座が河原崎座を吸収合併。

 

1669(寛文9)

都越後掾(都万太夫)、芝居の興行権を免許され名代となる。京都四条に都万太夫座(現在に南座)を立ち上げる。

 

1675(延宝3)

宇治加賀掾が京都四条で人形芝居の一座を立ち上げる。

 

1683(天和3)

近松門左衛門が加賀掾のために「世継曽我」を書く。上演。

 

1684(貞享元)

竹本義太夫が大坂道頓堀に「竹本座」を開場して座本となる。この旗揚げとして「世継曽我」を上演。

 

1685(貞享2)

竹本義太夫が「出世景清」を上演。浄瑠璃の転換期となる。

初代市川團十郎が、従来の初期歌舞伎から存在する「荒武者事」と「金平浄瑠璃(坂田金時の息子・金平の武勇譚)」とを加味して「歌舞伎における荒事芸」を完成させる(金平六条通い)。

初代坂田藤十郎が、遊郭の通う美男子の若旦那が放蕩三昧の末、勘当されて、落ちぶれた姿で馴染の遊女のもとへ通うという「和事」を確立(やや同時期)。「廓文章(1808)」の原典に当たる「夕霧名残の正月」の藤屋伊左衛門を生涯で18回も演じる。

 

1686(貞享3)

竹本座上演の「佐々木大鑑」で、初めて「近松門左衛門」の名を出す(それまでは狂言作者の名を面に出す慣例がなかった)。

 

1688(元禄1)

二代目市川團十郎が生まれる。初代團十郎が成田山新勝寺(成田不動)に子宝の願をかけたところ見事生れた子だったので「不動の申し子」といわれた。

 

1693(元禄6)

これより10年ほど、近松は歌舞伎作者となり、都万太夫座(京都)に出勤。坂田藤十郎が得意とした「やつし」「長せりふ」を巧みに取り入れた芝居の台本を書くようになる(けいせい仏の原・けいせい壬生大念仏・けいせい浅間嶽など)。その後は浄瑠璃に戻ったが、歌舞伎作者として学んだ「歌舞伎の趣向」が「人形浄瑠璃」の作に生かされることになった。

初代市川團十郎、上洛して京都の舞台に出演するが評判は悪く、1年あまりで江戸に帰る。

 

1697(元禄10)

のちに歌舞伎十八番に加えられる「(しばらく)」が初演される。

 

1704(元禄17)

市川團十郎、市村座で、役者の生島半六(自身の息子が虐待を受けたことで團十郎を恨んでいた)に舞台上で刺殺される。

 

1708(宝永5)

訴訟により、浅草弾左衛門支配(江戸)からの独立を果たす。

 

1714(正徳4)

江島生島事件で山村座は官許取り消して廃座。以降「江戸三座」になる。

 

1721(享保6)

二代目市川團十郎が「千両役者」と呼ばれ大スターとなる。

 

1723(享保8)に

都国太夫半中、師が没したので都路国太夫と改名し独立。

 

1730(享保15)

都路国太夫、宮古路豊後と改名し豊後節(のちに多くの豊後系浄瑠璃を生み出す本家本元)を創始。

 

1731(享保16)

文金風が大ブームとなるが、江戸で豊後節が禁止されてしまう。

 

1732(享保17)

宮古路豊後、高弟である宮古路文字太夫を伴い名古屋に進出する。

 

1733(享保18)

夏。名古屋の「闇の森(くらがりのもり)」にて、日置の畳屋伊八と飴屋町花村屋抱え遊女おさんが心中を成し、未遂に終った事件が起きる。

 

1734(享保19)

宮古路豊後が「おさん伊八の心中事件」を題材に「睦月連理椿(むつきれんりのたまつばき)」を書き下ろし、名古屋広小路・黄金薬師で初演し、大評判となる。掾号を受領して宮古路豊後掾橘盛村となり、大劇場である江戸中村座に進出する。

 

1735(享保20)

借金返済で首が回らなくなって破綻して休座していた森田座の控え櫓として、二代目河原崎権之助が森田座代興行権を引き当て、河原崎座を復興。

 

1738(元文3)

江戸での舞台を弟子にまかせ、宮古路豊後掾自身は再び西に戻り、上方(京阪)の劇場で活躍する。

 

1739(元文4)

江戸町奉行水野勝彦によって、浄瑠璃太夫の名を出すこと、稽古場の看板をあげること、文金風を真似ること等が禁止され、豊後節が非常に厳しい弾圧を受ける。

 

1740(元文5)

宮古路豊後掾、没


ラスカルさん
中村座って「猿若座」だったんだね!
パンダくん
うん!市村座も「村山座」だったし。。。
レッサーさん
森田座も「守田座」になるんだよ!

 





レッサーさんの歌舞伎入門「大歌舞伎」のコーナー! 日本の伝統芸能で一番有名な歌舞伎! 日本人ならキチンと知っておきたいよね!

それでは、次回をお楽しみに!しば~ら~く~!

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