【大歌舞伎】歌舞伎の歴史⑥ 上方和事と江戸荒事と女方

日本は伝統を大切にする国です。雅楽・能楽・文楽・歌舞伎。大きくカテゴライズしても、この4大ジャンルに分類できます。この中でも、1番歴史が浅いのですが、世界中で最も認知度が高いのがKABUKIです。庶民の娯楽としておよそ400年前に誕生してから、昭和40年には重要無形文化財に認定され、平成21年にはユネスコから世界無形文化遺産に登録され、現在まで続いています。

ラスカルさん
今日も楽しみながら歌舞伎を勉強しましょう!
パンダくん
うん!歌舞伎って奥が深いんだね!
レッサーさん
そう!でも、庶民の娯楽だから肩肘張らないようにね!

 





 


 

江戸歌舞伎を代表する市川團十郎は、弾左衛門からの独立を記念し「勝扇子(書物)」を家宝とし、現在も伝承しているそうです。またこの訴訟は、歌舞伎十八番の1つ「助六由縁江戸桜」成立の契機となり、弾左衛門は登場人物の「髭の意休」のモデルであるとも言われています。

しかし、この訴訟以降も、歌舞伎役者は(民衆には大人気の大スターでしたが)行政的には依然差別的に扱われていました。天保の改革時の大弾圧には、差別的な理由で浅草猿若町に集住を命ぜられ、市中を歩く際には笠をかぶらなくてはならないなどといった規制も受けます。

歌舞伎が法的に被差別の立場から解放されるのは、明治維新後のことでした。

 

さて、團十郎の荒事芸とは何でしょうか。1685(貞享2)、江戸市村座の「金平六条通*」という演目の坂田金平を勤めた際、従来の初期歌舞伎から存在する「荒武者事」と「金平浄瑠璃(坂田金時の息子・金平の武勇譚)」とを加味して「歌舞伎における荒事芸」を完成させました。これによって江戸で絶大な人気を得、以後230余年にわたって江戸歌舞伎の頂点に君臨した市川宗家の基礎を築くことになったのです。

 

*「本名題」=歌舞伎・浄瑠璃などの正式な題名で、通称・俗称に対して用いられます。通常は漢字5字(もしくは7字)で、通称「助六」の本名題は「助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)」。上方では「本名題」、江戸では「本外題」といったそうです。

 

1603(慶長8)

徳川家康によって徳川幕府が開かれる。出雲阿国が京都で「阿国かぶき」という念仏踊りを踊りはじめる。

 

1629(寛永6)

江戸幕府により「女歌舞伎」禁止。若衆歌舞伎がはじまる。

 

1648(正保5)

伊藤出羽掾「しんらんき」を上演して、本願寺から訴えられる。

 

1651(慶安4)

竹本義太夫が生まれる。

 

1652(承応1)

江戸幕府により「若衆歌舞伎」禁止。

 

1653(承応2)

野郎歌舞伎が始まる。近松門左衛門が生まれる。

 

1660(万治3年)

宮古路豊後掾(都国太夫半中)生まれる。

初代市川團十郎が生まれる。

 

1669(寛文9)

都越後掾(都万太夫)、芝居の興行権を免許され名代となる。京都四条に都万太夫座を立ち上げる。

 

1675(延宝3)

宇治加賀掾が京都四条で人形芝居の一座を立ち上げる。

 

1683(天和3)

近松門左衛門が加賀掾のために「世継曽我」を書く。上演。

 

1684(貞享元)

竹本義太夫が大坂道頓堀に竹本座を開場して座本となる。この旗揚げとして「世継曽我」を上演。

 

1685(貞享2)

竹本義太夫が「出世景清」を上演。浄瑠璃の転換期となる。

初代市川團十郎が、従来の初期歌舞伎から存在する「荒武者事」と「金平浄瑠璃(坂田金時の息子・金平の武勇譚)」とを加味して「歌舞伎における荒事芸」を完成させる(金平六条通い)。

 

1686(貞享3)

竹本座上演の「佐々木大鑑」で、初めて「近松門左衛門」の名を出す(それまでは狂言作者の名を面に出す慣例がなかった)。

 

1693(元禄6)

これより10年ほど、近松は歌舞伎作者となり、都万太夫座(京都)に出勤。坂田藤十郎が得意とした「やつし」「長せりふ」を巧みに取り入れた芝居の台本を書くようになる(けいせい仏の原・けいせい壬生大念仏・けいせい浅間嶽など)。その後は浄瑠璃に戻ったが、歌舞伎作者として学んだ「歌舞伎の趣向」が「人形浄瑠璃」の作に生かされることになった。

初代市川團十郎、上洛して京都の舞台に出演するが評判は悪く、1年あまりで江戸に帰る。

 

1697(元禄10)

のちに歌舞伎十八番に加えられる「(しばらく)」が初演される。

 

1704(元禄17)

初代市川團十郎、市村座で、役者の生島半六(自身の息子が虐待を受けたことで團十郎を恨んでいた)に舞台上で刺殺される。

 

1708年(宝永5年)

訴訟により、浅草の弾左衛門支配(江戸)から独立を果たす。

 

荒事は、初代市川團十郎によって創始され、江戸歌舞伎の大きな特徴になったものです。荒々しい超人的なパワーの正義の味方が、バッタバッタと悪をなぎ倒し、懲らしめていくというストーリーで、主人公をより勇ましく見せるために、大ぶりの衣装や隈取、それに見得六法など特有の演技が誕生しました。

 

その一方、江戸の荒事と同時期に誕生したのが、上方の和事です。柔らかで写実的初代坂田藤十郎が、遊郭の通う美男子の若旦那が放蕩三昧の末、勘当されて、落ちぶれた姿で馴染の遊女のもとへ通うというスタイルを確立しました。上方だけではなく江戸でも初代中村七三郎という和事を得意とする役者が現れ、人気を博します。

 

映画で例えると、荒事は「バリバリ・アクションのヒーローもの」、和事は「コメディタッチを入れたラブストーリーもの」といってもよいかもしれません。

 

そして、この時代に歌舞伎の必須要素「女方」の芸の基礎を固めた初代芳沢あやめがいました。和事を確立した坂田藤十郎の相手役をつとめ、「けいせい浅間嶽」の傾城三浦の役で頭角を現し、のちに「三ヶ津惣芸頭」という最高の評価を得ました。

 


ラスカルさん
女方は世界的にもかなり珍しい、日本独自の芸術スタイルなんだよ!
パンダくん
うん!世界の人たちは「え!アレが男なの!オーマイガー!」って感じなんだろうね!
レッサーさん
現代では玉三郎さんが世界的に有名だよね!

 





レッサーさんの歌舞伎入門「大歌舞伎」のコーナー! 日本の伝統芸能で一番有名な歌舞伎! 日本人ならキチンと知っておきたいよね!

それでは、次回をお楽しみに!しば~ら~く~!

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