【大歌舞伎】歌舞伎の歴史⑤ 江戸荒事と市川團十郎

日本は伝統を大切にする国です。雅楽・能楽・文楽・歌舞伎。大きくカテゴライズしても、この4大ジャンルに分類できます。この中でも、1番歴史が浅いのですが、世界中で最も認知度が高いのがKABUKIです。庶民の娯楽としておよそ400年前に誕生してから、昭和40年には重要無形文化財に認定され、平成21年にはユネスコから世界無形文化遺産に登録され、現在まで続いています。

ラスカルさん
今日も楽しみながら歌舞伎を勉強しましょう!
パンダくん
うん!歌舞伎って奥が深いんだね!
レッサーさん
そう!でも、庶民の娯楽だから肩肘張らないようにね!

 





 


 

平安時代(前期)

当道座ができる。猿楽が成立する。傀儡子が登場。

 

鎌倉時代(中期)

平曲(平家物語+琵琶=平家琵琶)が成立する。

 

室町時代(後期)

浄瑠璃(浄瑠璃姫物語+琵琶)が成立する(戦国時代)。観阿弥・世阿弥親子が足利義満に支持される(南北朝時代)。傀儡子の流れをくむ「西宮の夷舁き」が登場。

 

安土桃山時代

三味線伝来。豊臣秀吉が淀殿のために作らせた三味線「淀」。滝野検校・澤住検校が三味線を使用(浄瑠璃姫物語+三味線)。

 

江戸時代(初期)

杉山丹後掾・薩摩浄雲が江戸浄瑠璃開祖となる。門下から多くの浄瑠璃太夫が誕生し、上方・江戸でしのぎを削る。浄瑠璃(+三味線)+人形操り=人形浄瑠璃

 

~~~以降は江戸時代~~~

 

1603(慶長8)

徳川家康によって徳川幕府が開かれる。出雲阿国が京都で「阿国かぶき」という念仏踊りを踊りはじめる。

 

1629(寛永6)

江戸幕府により「女歌舞伎」禁止。若衆歌舞伎がはじまる。

 

1648(正保5)

伊藤出羽掾「しんらんき」を上演して、本願寺から訴えられる。

 

1651(慶安4)

竹本義太夫が生まれる。

 

1652(承応1)

江戸幕府により「若衆歌舞伎」禁止。

 

1653(承応2)

野郎歌舞伎が始まる。近松門左衛門が生まれる。

 

1660(万治3年)

宮古路豊後掾(都国太夫半中)生まれる。

 

1669(寛文9)

都越後掾(都万太夫)、芝居の興行権を免許され名代となる。京都四条に都万太夫座を立ち上げる。

 

1675(延宝3)

宇治加賀掾が京都四条で人形芝居の一座を立ち上げる。

 

1683(天和3)

近松門左衛門が加賀掾のために「世継曽我」を書く。上演。

 

1684(貞享元)

竹本義太夫が大坂道頓堀に竹本座を開場して座本となる。この旗揚げとして「世継曽我」を上演。

 

1685(貞享2)

竹本義太夫が「出世景清」を上演。浄瑠璃の転換期となる。

 

1686(貞享3)

竹本座上演の「佐々木大鑑」で、初めて「近松門左衛門」の名を出す(それまでは狂言作者の名を面に出す慣例がなかった)。

 

1693(元禄6年)これより10年ほど、近松は歌舞伎作者となり、都万太夫座(京都)に出勤。坂田藤十郎が出る芝居の台本を書く。その後は浄瑠璃に戻ったが、歌舞伎作者として学んだ「歌舞伎の趣向」が「人形浄瑠璃」の作に生かされることになった。

 

この時代は多くの浄瑠璃太夫が存在し、江戸や上方を舞台に広く活動していました。竹本義太夫宮古路豊後掾は特に重要です。竹本義太夫の義太夫節はその後、人形浄瑠璃の伴奏として日本芸能史に確固たる地位を築き上げ、現在では「文楽」でその400年続く伝統的で豪快な芸風を聴くことが出来ます。

 

宮古路豊後掾の豊後節は現存こそしませんが(常磐津節「伝授の雲竜」のみ・新内節に芸風を色濃く残す)、豊後節大弾圧からの常磐津節・新内節・宮園節の誕生、翌年には常磐津節から富本節が誕生し、のちの清元節へとつながる大きなファミリーグループとも言える「豊後系浄瑠璃」の総元締めです。やはり、宮古路豊後掾も日本芸能史では重要な人物と言えます。

 

ここで「太夫と掾号」についても触れておきましょう。「太夫=浄瑠璃語り」という認識ですが、都万太夫座と言われるように、古浄瑠璃の時代は「太夫=浄瑠璃語り=座主(その一座のオーナー)」という認識でした。現在では実演家のみをさして「太夫」と言うので、言葉が独り歩きしているのですが、本来「太夫」という言葉には「演奏者+オーナー」という意味合いが含まれていたのです。

 

一方、歌舞伎でも「芝居興行の責任者=太夫元(中村座:中村勘三郎、市村座:市村羽左衛門、森田座:森田勘彌)」と言うように「太夫」は元締めの意味があります。これは女歌舞伎時代から最高位の遊女を太夫と呼んでいた名残とされています。

 

また、杉山丹後掾・伊藤出羽掾・宇治加賀掾・都越後掾・宮古路豊後掾というように「掾」の字が最後についていますが、これは一体何でしょうか。答えは「掾号(じょうごう)」という名人上手に与えられる栄誉ある称号です。江戸時代前期から、浄瑠璃の太夫の芸名に、国名(丹後国・出羽国・加賀国・越後国・豊後国……)とともに与えられた称号で、江戸時代中盤あたりから「大掾・掾・少掾」の三階級が出来上がりました。

 

さて、ここからは江戸荒事の始祖「市川團十郎」について考察していきましょう。

 

初代市川團十郎は1660年生まれ。京都の宮古路豊後掾と同じ年に江戸で生まれました。元禄歌舞伎を代表する江戸の役者で、立役を得意とし、荒事芸を歌舞伎に導入しました。團十郎が考案した見得は「元禄見得」と呼ばれています。

 

当時の歌舞伎関係者は、長吏頭「弾左衛門」の支配下にありました。弾左衛門とは今でいうマフィアのような存在です。芸能(歌舞伎・傀儡師)のほか、革製品の職人、遊女屋などが弾左衛門の支配下(シマ)でした。しかし、そんな時代(歌舞伎発生から約100年間)も長く続けるわけにはいきません。歌舞伎関係者は自分たちの人気を背景に弾左衛門支配からの脱却をめざします。1708年に弾左衛門との間で争われた訴訟をきっかけに、ついに歌舞伎関係者たちは「独立」を果たします。

 


ラスカルさん
弾左衛門!そんなオッカナイ人が束ねていたんだネ
パンダくん
うん!でもあくまでも「元禄歌舞伎」の頃!二代目市川團十郎が、父親が生み出した「荒事」を歌舞伎の中で確立したのは1708年の独立後だよ!
レッサーさん
弾左衛門支配から「自由」を得たから、現在に至る芸術性の高いモノになったのかもしれないね~!

 





レッサーさんの歌舞伎入門「大歌舞伎」のコーナー! 日本の伝統芸能で一番有名な歌舞伎! 日本人ならキチンと知っておきたいよね!

それでは、次回をお楽しみに!しば~ら~く~!

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