【大歌舞伎】歌舞伎の歴史② 若衆歌舞伎~野郎歌舞伎

日本は伝統を大切にする国です。雅楽・能楽・文楽・歌舞伎。大きくカテゴライズしても、この4大ジャンルに分類できます。この中でも、1番歴史が浅いのですが、世界中で最も認知度が高いのがKABUKIです。庶民の娯楽としておよそ400年前に誕生してから、昭和40年には重要無形文化財に認定され、平成21年にはユネスコから世界無形文化遺産に登録され、現在まで続いています。

ラスカルさん
さー!今日も歌舞伎を勉強しましょう!
パンダくん
うん!日本人なら知っておきたいよね!
レッサーさん
そう!世界的に有名なKABUKIをレッツスタディー!

 





 


 

そして入れ替わりに大衆の関心を得たのが「若衆歌舞伎」です。前髪をつけた少年たちが女装したもので「女歌舞伎ブーム」の陰に隠れていた存在でしたが、エロティックな歌詞で再び京都の人たちはフィーバーします。若衆歌舞伎は1629(寛永6)年から1652(承応1)年までの約 25年間と、やはり女歌舞伎同様に続きますが、男色による風紀上の弊害を理由に再び禁止されます。

歌舞伎に携わる人々や、歌舞伎を楽しむ人たちの熱望により、翌年にあたる1653(承応2)に禁止は2つの条件をもとに解かれます。

男色を彷彿とさせるような若い少年の「前髪」を禁止。成人男性の象徴「チョンマゲ」で演じるならOK。

エロティックな歌舞を控えて「セリフ劇を主体」とした芸術性のあるものならOK。

この2つの条件により、歌舞伎は息を吹き返しますが、これは怪我の功名であり、それまでの「見世物(ショー)」的なものから、せりふや動きなどの技術的な側面をメインとする「演劇(ドラマ)」へと進化するキッカケとなりました。チョンマゲ頭が「野郎頭」と呼ばれていたことから、これからの歌舞伎は「野郎歌舞伎」と呼ばれ、演者が成人男性中心に演じられたことから、現在でも最大の特徴である「女方(おんながた・おやま)」が誕生した発端にもなります。チョンマゲ姿で女性の役を演じるのは至難の業ですが、額に手拭をのせることで、色気が漂うことを発見し、この手法をもとに女方は、歌舞伎の中で確固とした地位を占めていきます。

また、役柄としての女方は、娘方(むすめがた、赤姫・町娘・田舎娘など)、傾城(けいせい・位の高い遊女)、女房役(にょうぼやく、少し年齢が高い女性)、悪婆(あくば、悪役の婆さん)、女武道(おんなぶどう、勇ましく立ちまわる女性)、花車方(かしゃがた、筋に厚みを持たせる重要な役でベテラン役者が演じる)などがあります。

現在でも、歌舞伎の舞台が女人禁制なのは「女歌舞伎の禁止」を受けたことから続く、伝統的な事なのですね。

徳川太平の世と言われる江戸時代は町人の時代といってよいかもしれません。士農工商と言われ、最後にその名を連ねる商人たちの稼ぎ出したお金が経済を支え、財力と見識にけん引された文化がどんどん発展して、広く拡大しました。美術では豪華絢爛な「琳派」や「浮世絵・錦絵」、舞台芸能では「人形浄瑠璃」「歌舞伎」などです。

この江戸時代を文化的にみると「元禄期と化政期」に大別出来ます。元禄期(前期)は伝統が根深く息づく上方「京阪・尾張」、そして化政期(後期)の舞台は、当時の新興都市「江戸」です。この2つの期間を経て、劇(ドラマ)の内容が充実して演技(せりふ・しぐさ)がレベルアップして精錬されていきました。その過程での最重要人物は、狂言作者「近松門左衛門」抜きには語れません。

近松門左衛門は都万太夫座(京都)の座付作者となり、傾城買狂言のヒット作品を多く編み出しますが、竹本座(大阪)の「曾根崎心中(1703:元禄16年)」が大ヒットしてからは歌舞伎を離れ、竹本座の座付作者となって人形浄瑠璃に専念します。それでは人形浄瑠璃とは何でしょうか。それにはまず「浄瑠璃」から理解していかなくてはなりません。

浄瑠璃が誕生したのは能楽(猿楽)が成立した平安時代前期にさかのぼります。仁明天皇の子である人康(さねやす)親王は、盲目だったので山科にこもって盲人を集め、琵琶・管弦・詩歌などを教えていました。人康親王の死後、そばに仕えていた者に「検校」と「勾当」の官位を与えられました。このグループを「当道座」として、最高官位(リーダー)は検校と呼ばれ、大名屋敷に住んでいた程の権力を与えられました。ちなみに「検校」「勾当」「別当」と続き、最下位は「座頭」といいました(映画「座頭市」の座頭です)。

鎌倉時代中期には「平家物語」を琵琶で演奏するスタイル「平曲」が成立し、この盲目の琵琶法師たちは平曲を演奏していましたが、室町時代(後半の戦国時代)になると、巷で流行していた「浄瑠璃姫物語」という牛若丸(若き日の源義経)のラブロマンスに代替わりします。無骨な戦争物に飽きて、男女の情愛の方に興味を持ち始めたのは、もはや当然の流れかもしれません。ちなみに小野お通という織田信長の侍女が、幼い頃の信長にこの「浄瑠璃姫物語を語って聞かせたと言います。ここまでを整理すると以下のようになります。

 

平安時代(前期) 当道座ができる。猿楽が成立する。

鎌倉時代(中期) 平曲(平家物語+琵琶=平家琵琶)が成立する。

室町時代(後期) 浄瑠璃(浄瑠璃姫物語+琵琶)が成立する(戦国時代)。

観阿弥・世阿弥親子が足利義満に支持される

(南北朝時代)。

 

安土桃山時代には、琉球(沖縄)から堺(大阪)を経て本土に入った三線(さんしん)が、短期間のうちに三味線となって伝来しました。豊臣秀吉が淀殿のために作らせた三味線「淀」が最古という説があり、当道座の盲人音楽家によって手が加えられ、イチョウ型の撥(バチ)も平家琵琶のものを改良して用いました。滝野検校澤住検校が、浄瑠璃の伴奏楽器を「琵琶」から「三味線」に持ち替えたのが、現在の「浄瑠璃(物語を語る太夫+三味線弾き)」の最初と言われています。


ラスカルさん
歌舞伎と浄瑠璃がリンクするのは、これから先の話よね!
パンダくん
うん!浄瑠璃は日本芸能史を語る上ではハズせないよね~!
レッサーさん
なるほど~!勉強になるな~!

 





レッサーさんの歌舞伎入門「大歌舞伎」のコーナー! 日本の伝統芸能で一番有名な歌舞伎! 日本人ならキチンと知っておきたいよね!

それでは、次回をお楽しみに!しば~ら~く~!

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